パワーストーンの真実。

舎人独言

健康&グルメに・・・ 翡翠 のパワー。

サンバ・サラヴァ 和訳 映画「男と女」 解読 ピエール・バルー

ボサノヴァの曲って、古びて時代遅れになりにくい。この曲が証明でしょ?
予定調和に簡単には着地しないし、軽やかさは持って生まれた身上でしょう^^
Samba Saravah にあるさまざまなナゾについても考察しています。
たとえば Saravá が、どうして Saravah になったのか?とか^^

アトピーや乾燥肌など肌トラブルでかゆい方の約70%はかゆみが消えます。
ステロイドで効果がない方を含めてです。
で、魔法の水 とよく言われます。違います。
「宇宙」とか「人体」と同じように、現代の科学がまだ追いついていないだけ。
ヒスイウォーターは新しい技術として注目されている、太陽光と同じマイクロ波や
テラヘルツ波を生かした水。舎人が約20年も飲み続けている安全で美味しい品格の水です。。
かゆくて眠れない方のヒスイウォーターリポート

青雲舎(株)の翻訳を信じるなら翡翠マグも信じてくださいネ。
明治時代の人には電子レンジが信じられないようなものですが、
誰もディスっていないでショ?^^ ちょっとしたキセキなのです。
味わい・お茶・お酒・味噌汁などで試していらっしゃる方のヒスイウォーターリポート

  

映画「男と女 Un Homme Et Une Femme 」が好きでブラジル音楽が好き・・・
ときたら、やるっきゃありませんね。

やりましたとも。
舎人の試論に過ぎませんが映画「男と女」の挿入曲
サンバ・サラヴァ Samba Saravah のヒミツの解読です。
ブラジルの Saravá が、どうして Saravah に?とか
ファンだったら、これを知らずには死ぬに死ねない秘密!?
それと、名前を挙げられているアーティストの楽曲も一部
紹介しています。

2018年12月28日、ピエール・バルーの訃報が。
この年末、親しみ敬愛したアーティストが次々と・・・。
寒さのせいばかりではない寂しさです。
ピエール・バルーはほかに 愛する勇気 を翻訳しています。
誠実な愛の歌です。
ピエール・バルーの 愛する勇気 はここをクリック
 
★舎人独言にどんな音楽がある?を探す
ミュージックリスト(目次.クリックできます)はこちら。

「愛はわたしたちより遥かに強い」
L’amour est bien plus fort que nous の翻訳で
アヌーク・エーメとジャン=ルイ・トランティニャンの心理状態を
読み解いていきましたが、今回は挿入曲の秘密に迫ってみました。
この映画の熱心なファンも知らなかっただろうトリヴィアな
サラヴァ saravah にまつわる謎ですが。

まず、ピエール・バルー Pierre Barouh (スペルにご注目!)の
サンバ・サラヴァ Samba saravah を。 次にそのオリジナル
となったヴィニシウス・ジ・モラエス Vinicius de Moraes
の サンバ・ダ・ベンサゥン Samba da Bênção を、日本語訳でご確認ください。
(ピエール・バルーのパフォーマンスから
逆に影響を受けているパフォーマンスもあります)
バーデン・パウェルの凄い演奏は最下部のほうにある動画です。

余談ですが、ブラジルのアーティストの名前が次々と挙がる、白馬に乗っている
シーンは、南仏アルルの南西にあって、ほとんど地中海と紙一重のような
カマルグ湿原の情景です。太古種の白馬でも有名で、生まれたときは色がある
のですが、4~5歳になると白くなるのだそうです。ラムサール条約登録地。

男と女の車の中の会話から、回想のサンバシーンが始まります。
「わたしたちの人生にサンバが入ってきたの」
「サンバがあなたがたの人生に入ってきた」
「そうよ」

幸せであること それって多かれ少なかれ、みんな探してる
僕は笑うのが好きで歌うのが好きだ それから
陽気によろしくやっている人の邪魔はしない
でももし サンバが悲しみを持っていないなら
それは酔いをもたらさないワインだよ
酔ったりはしないワインさ 違うな
それってボクが欲しいサンバじゃないね

悲しみを持たないサンバをつくる
それは ただ綺麗なだけの女性を愛すること
これって詩人で外交官でこの歌の作者の
ヴィニシウス・ジ・モラエスが自分で言った言葉で
彼が言うには、ブラジルの白人の中で一番に黒人なんだって
で、僕と言えば、きっとフランスで一番ブラジリアンのフランス人だ
僕が話したいのはサンバへの愛で
愛する人に敢えて話しかけたりしない恋人の流儀で
会う人みんなに語りたいんだ

知ってるさ
歌が流行に過ぎない人たちを
歌を愛さずに利用する人たちを
残念な歌だね
僕はさ 僕は歌を愛してる で、
さすらいのルーツを探して世界を回ったんだ
今日 最も深いものを見つけるために
僕は 歌わなくちゃいけないものを歌うよ
それがサンバって歌さ

ジョアン・ジルベルト、カルロス・リラ、ドリヴァル・カイミ、
アントニオ・カルロス・ジョビン、ヴィニシウス・ジ・モラエス、
この歌の音楽や たくさんの作品をつくったバーデン・パウエル
君に挨拶するよ! 今夜は皆さんに感謝して
気持ちよく酔っ払いたいなって思うんだけど、
僕には発見したことがあって、
何がサンバを成り立たせているかって、
そいつは・・・サラヴァ(Saravá)

ピシンギービャ、ノエル・ローザ、ドローレス・デュラン、
シルヴィオ・モンテイロそれとほかの人たち。
それからパッと思いつくエドゥ・ロボ、
それから今夜、僕と一緒にいる友達。
もちろんバーデン、イコ、オズヴァルド、ビジ、オスカール、ニコリーノ、
ミルトン・・・サラヴァ(幸せでありますように)

すべてをつくるもの それが言葉ってことで 体が震えることなしに
発音するなんて絶対にできない
それを歌うことで、すべての人を揺さぶるひとつの言葉
両手を空に突き上げるがいい それは サンバ

それはバイーアで生まれたって言うんだ
独自のリズムと
何世紀にもわたる踊りと苦しみによる
その詩情
表現していることがどんな感情であれ
それは形式と言葉の響きで白人なんだ
形式と言葉の響きで白人さ
それはハートでは黒人さ
まさしく黒人なんだ

表現していることがどんな感情であれ
それは形式と言葉の響きで白人なんだ
形式と言葉の響きで白人さ
それはハートでは黒人さ
まさしく黒人なんだ

愛する人に敢えて話しかけたりしない恋人の流儀で
という箇所は、言葉で話しかけるのではなく
音楽で話したい、ということ。
そういう解釈はネット上では、ほかにないようです。

無断転載はご容赦ください。リンクはフリーです。

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舎人独言には
    ★エロスに変容するバラの寓意
★ノートルダム大聖堂の聖なる秘数
★オパキャマラドの風景
★映画「華麗なる賭け」チェスシーンのセクシーの秘密
★名盤「クリムゾン・キングの宮殿」の実在のモデル発見
★映画「男と女」サンバ・サラヴァの謎

といった解読シリーズがあります。

ヴィニシウスのパフォーマンスです。
聴き比べ、読み比べしてみると
ヴィニシウスの詩の深刻さと体臭が
ピエール・パルーによって適当に薄められ
普遍的で聞きやすいものになっていることがわかります。
ブラジルのアーティストの誰が、オリジナルのヴィニシウス
の Samba da Bênção にはちゃんと入っていたのに
ピエール・バルーによってカットされたか?
それはバルーの判断次第ですから仕方がありません。
ですが、ヴィニシウスの Samba da Bênção が
どうしてバルーでは Samba saravah となったのでしょうか?
Bênção をどうして避けて、saravah にしたのか?
そして saravah とは?
ヴィニシウスは最後から2行目で サラヴァ を使っていますが
それは  Saravá です。 saravah ではありません。
どうして???

オリジナルの
Samba da Bênção の全訳です。

悲しく過ごすって むしろ喜ばしいこと
喜びは存在するものの中で最良だ
それはハートの中の光りのようなもの

けれども魅力あるサンバをつくるには
ちょっとした悲しみが欠かせない
ちょっとした悲しみが欠かせないのだ
そうでなければ サンバをつくってはいけない
いけないのだ

悲しく過ごすって むしろ喜ばしいこと
喜びは存在するものの中で最良だ
それはハートの中の光りのようなもの

けれども魅力あるサンバをつくるには
ちょっとした悲しみが欠かせない
ちょっとした悲しみが欠かせないのだ
そうでなければ サンバをつくってはいけない
いけないのだ

そうでないなら それは綺麗なだけの女を愛するようなもの
あるべきものを持っている女 それが何だって?
綺麗さ以外の何か
悲しさの何か
涙の何か
サウダージ(今は失われたものへの憧憬)を感じる何か
宙ぶらりんの愛の傷
悲しみから来る美しさを教えてくれる女
愛するためにだけ存在していた
その愛によって傷つくために
そしてただ許しであろうと

サンバをつくることは冗談事ではない
だから なんでもないサンバをつくる者はいない
良いサンバとは祈りの形をとるのだ

サンバは弾む悲しみなのだから
そして 悲しみにはいつも希望があるから
悲しみにはいつも
もう悲しくはないという、そんな日の希望があるのだ

ぶらぶら歩きまわる、そんな人でいるがいい
人生で役割を演じるには
気をつけるんだ 友よ
人生を価値あるものにするには
欺かれてはだめだ だめなのだ
ただ持つことだ
いいことがまさに2つある
持っているとは誰もわたしには言わないことだ
大変な努力で努めようとせず
天上の公証役場で手渡された証明書があって
次のような書付がある
「神は確かにご存知だ」

人生は冗談ではない、友よ
人生とは出逢いの芸術だ
人生にたくさんの出逢いの過ちがあるとしても
いつも愛情でいっぱいの目を持ち
両手にいっぱいの許しを持つ女が君を待っている
少し愛を加えるがいい 君の人生に
君のサンバのように

君のリズムの中に少し愛を加えるがいい
そしてあなたは見るだろう 世界の誰も勝利しないことを
サンバの持つ素晴らしさ そうじゃないか

サンバはそこで生まれたのだから バイーアで
そしてもし今日 詩の中で白人だったら
もしきょう 詩の中で白人であるとしても
心の中ではとても黒人なのだ

わたしは例えば酒場のリーダー
ヴィニシウス・ジ・モラエス
詩人で外交官
ブラジルの白人であり それ以上に黒人だ
Xangô シャンゴの直系なのだ saravá! サラヴァ!
あなたに祝福を 聖母さま
最大の(マクンバの)巫女(みこ)だ バイーアの
カイミとジョアン・ジルベルトの地
祝福を ピシンギーニャ
フルートで泣いていたあなただ
愛の全くのわたしの悲痛
祝福を ミスター 祝福を カルトーラ(ミスターはカルトーラを指す)
祝福を イズマエル・シルヴァ
あなたに幸あれ エイトール・ドス・プラゼーリス
祝福を ネルソン・カヴァキーニョ
祝福を ジェラルド・ペレイラ
祝福を わが良き友 シロ・モンテイロ
君はノノーの甥っ子だ
祝福を ノエル あなたに幸せを アリー
祝福を ブラジルの偉大なサンビスタたちすべてに
白人 黒人 混血
Oxum オシュンの柔らかな肌のように綺麗だ
祝福を マエストロのアントニオ・カルロス・ジョビン
パートナーであり大好きな友
もう、たくさんの歌で一緒に旅をした
そしていまだに たくさんの旅が残っている
祝福を カルリーニョス・リラ(カルロスを親しみをこめて呼んでいる)
100%のパートナー
行動を感情と思考へ結んでいく君
祝福を 祝福を バーデン・パウエル
このサンバを一緒につくった
新しい友人にして新しいパートナー
祝福されてあれ 友よ
祝福を マエストロのモアシール・サントス
君は単なる存在ではない
聖セバスティアンを含めて
わがブラジルの聖なるもののすべてと同様
多様な存在だ
サラヴァ! 祝福を つまり、わたしが行くってこと
わたしは さよならを言わなければいけないようだ

リズムの中に少し愛を加えるがいい
そしてあなたは見るだろう 世界の誰も勝利しないことを
サンバの持つ素晴らしさ そうじゃないか

サンバはそこで生まれたのだから バイーアで
そしてもし今日 詩の中で白人だったら
もしきょう 詩の中で白人であるとしても
心の中ではとても黒人なのだ

さて、謎を解読していきましょう。
以下の解読は2014年7月27日現在、
ネット上では弊社以外、指摘していないようです。
青雲舎(株)の著作物ですので
無断転載はご容赦ください。リンクはフりーです。

saravah も  Bênção も「祝福を」「あなたに幸いを」といった意味の
挨拶の言葉とは、ネット上にあるたくさんの指摘通りです。
慣れてしまえば「こんにちは」とか「元気かい」「やあ」など、
宗教的意味合いを離れて日常的に、気軽に使われたのでしょう。
ともかく、ヴィニシウスが2回だけかな?
ほとんど歌詞に使わなかった Saravá も、
Saravah のもとになったオリジナルの言葉ですから、当然、同じ意味です。

では、まず、ヴィニシウスはなぜ、
サラヴァをタイトルに使わなかったのでしょう?
もちろん、 va  にアクセントがあるという意味で vah
となったのはわかりますが、しかし Saravá には何かありそうです。

Saravá はブラジルからパラグァイにかけて
Macumba マクンバ を信じる者同士の挨拶なのだそうです。
ヴィニシウスはあれだけの数のアーティストの名を挙げていますが
とうてい全員がマクンバの信者ではありえないでしょう。
むしろ、ブラジルでマクンバと聞いたら、一般的には
呪いの黒魔術を想像することが多いだろうと思われます。
一方、ブラジルの人たちはマリア様が大好きで
こちらの聖母信仰は堂々と表明することができます。
ヴィニシウスは、ネグリチュードならではの伝統や音楽など
マクンバの良い面を見ているのでしょうが
黒魔術を思い浮かべる人が多い以上
Saravá よりも Bênção を
使ったほうが無難で、失礼がないわけです。

では、Macumba とは本来、何なのでしょうか?
マクンバ は、アフリカはバントゥー系民族の宗教です。
バントゥー系民族は、カメルーン、ケニア、ウガンダ
コンゴ、ボツワナ、アンゴラなど
アフリカ大陸が真ん中でくびれる部分から南に広がり、
最南端の南アフリカ西部とその北部に隣接するナミビアを除き
現在、広範囲に繁栄している種族です。

彼らの宗教であるマクンバは、奴隷として渡らされたブラジルで
たとえば、リオ・デ・ジャネイロ周辺ではマクンバ
バイーア州周辺ではカンドンブレと呼ばれます。
アフリカ起源の八百八万神的な自然神が
キリスト教の聖人らのイメージと重なり
神父ら教会関係者も布教の便宜から混交を認めるという
典型的なシンクレティズムとして
祖先の宗教の神、オリシャらがブラジルの地でも生き延びるわけです。

Good morning とかGood-bye も God 神が介在していますが
Saravá もマクンバの神たちの霊的なパワーを含んだ
「幸あれ」「あなたに祝福を」であり「こんにちは」です。
Saravá とは実は合成語のようで、こんな成り立ちです。

Sa = 力、神

Ra = 統治すること、動き

Vá = 自然、エネルギー

まとめると、サラヴァとは、自然を動かす力 となり
そこから聖なる言葉として
同じ宗教を信じる者同士の挨拶の言葉となっていったわけです。

こうした言葉って、Hawaii ハワイの Aloha アロハ が有名ですね。
A akahai  = 思いやり
L lokahi  = 調和
O oluolu = 優しさ
H haahaa  = 謙虚
A ahonui  = 忍耐
民俗学的に、共通する造語法があるかもしれませんね。
アロハスピリットって、素晴らしい^^

話を元に戻します。
シャンゴーとは雷、稲妻を体現し、正義と裁きの神。
男らしさの象徴ですが
サラヴァ シャンゴー という曲があります。
Saravá Xangó

ヴィニシウスがサラヴァを全面的に使えなかった理由は
すでに述べました。宗教的意味合いが強すぎるという事情が
おわかりいただけたと思います。
では次に、なぜ、バルーはサラヴァを採用したのでしょうか?

推測でしかありませんが、ヨーロッパ人には Saravá の
細かなニュアンスはわからないから、どちらでもいいのでしょう。
というより Bênção は言葉の響きとして
ben ← bien (フランス語。意味は good )
ção ←  英語の tion  を容易に類推させますから
なんとなく意味っぽいものが類推できてしまう。
その点、Saravá は、ヨーロッパにはない未知のフレッシュな言葉で
異文化のブラジルらしさを強く印象づけることができます。
さらに、サラヴァって言葉の響きが、カッコいいって
思ったのかもしれませんね。
なんといっても、自分のレーベルの名前にしてしまうほどですから。
(「男と女」で当てたお金で、レコード会社を設立したとの説があります)

しかし、お気づきでしょうか?
まだひとつ、謎が残っていますね。

ステイシー・ケント Stacey Kent の Samba saravah です。

そうです。
Saravah であって Saravá ではありません。
どうして?
オリジナルからアクセント記号を取り除き
h  を付け加えているのですが。

冒頭、 ピエール・バルーのスペルにご注目をと申しました。
Barough です。 最後に h  があります。
Sarava に、自分流の h  を追加することで
Barough  と重ね合わせ、自身と一体化させたかったわけです。
だって、サラヴァは、英語なら Blessing 祝福 という意味ですが
バルーも、ヘブライ語で 祝福 という意味なのだそうです。
意味も形式も同じって、なんか嬉しくないですか?
ひと手間かければ、そうなるなら、やっちゃいますよね?

さて、謎解きは終わりました。
終わりましたが、もうひとつ
勝手な憶測を。
h を伴う ということで、このページで、実は
すでに登場している単語が思い起こされるんです。
ブラジルでは常識です。

それは、バイーア。
ブラジルが大きくく大西洋へ突き出している
最初の首都だったサルヴァトールあたりを
バイーア州と言いますが、それは 湾 というのが語源です。
湾 としての綴りは Baía。ところが
地名としてのバイーアは Bahía。
h 付きのバイーアなんです。
ブラジルでは com H (with H)、つまり、アーガ(H)付きのバイーア
として知られます。

バイーアで生まれた(やって来た)と歌った
Samba saravah ですから
saravah という単語に変えた歌詞で歌うことで、ピエール・バルーは
ブラジルのバイーア風かつ自分流の「こんにちは。元気?」って
歌っているつもりなのかも知れませんね。

ヴィニシウスからフランス版の Samba da Bênção をとけしかけられ
パリへと帰国する直前、バーデン・パウエルの自宅で開かれた送別会で
発表されたフランス語による Samba saravah.
映画をとおして、サンバはブラジル文化の代表的アイコンとして
世界へ流布することになりました。

なんと激しく踊った後のチルアウトとして
ベベウ・ジルベルトが歌っています。
クラブシーンとなると、意図的なエキゾティシズムが
効果的な味ヘンとなるのでしょう。
このメロディは何気ないようで
今も音楽ファンの耳に新鮮に伝わってきます。

ベベウ Bebel はジョアン・ジルベルトとミウシャの間に
生まれたサラブレッドですが、最初期ではユーミンの曲を
ボサノヴァ仕立てで歌っていましたね。

カエターノ・ヴォローゾ Caetano Veloso とジョイス Joyce -の
なんとも素敵な「祝福のサンバ」。
ブラジルっぽいって思うんだけど、つまりブラジルって爽やかってことでもあるか。

Carinhoso  カリニョーゾ 愛情深く

ピシンギーニャを代表するのは、この曲でしょう。
ヴィニシウスはフルートに言及していますが
ピシンギーニャは最初はフルート、後にサックスで舞台に立ちました。

ポルトガルに起源を持ち、
叙情的なメロディが特徴のショーロですが
その代表的アーティスト兼作曲家です。
マリーザ・モンチとパウリーニョ・ダ・ヴィオラが敬意を捧げています。

ノエル・ローザも草創期のサンバを引っ張った
言ってみれば殿堂入りの名士です。下の動画は
ジョアン・ノゲイラ で FEITIO DE ORAÇÃO  祈りの姿 です。
ヴィニシウスが、良いサンバは祈りの・・・と書いたのは
この曲の念頭にあったのではないでしょうか?
大人のサンバって感じを漂わせています。
実に惜しまれる早逝(そうせい)ですね。


Moto-contínuo   永久運動機関

シコ・ブァルキでとてもよく聴いた曲ですが、実は
エドゥ・ロボが共作しています。
多分、作詞ではないでしょうか。
で、その歌をエドゥ・ロボとトン・ジョビンが共演しています。

エドゥ・ロボはこの歌が作られた当時、とても高い評価を得ていました。
でも、1曲くらい、これならいいな、と思った曲はありましたが
正直、余りピンときませんでした。

Baden Powell  バーデン・パウェルも、祝福のサンバを演奏しています。

ヴィニシウスの詞でもわかるとおり
二人でコンビを組み、素晴らしい作品をつくっていました。
ですが、有名になるにつれ、
ヴィニシウスとは別の道を択ぶことになります。
ヘタウマというか持ち味で聴かせるヴィニシウスと
シャープなところがあるバーデンでは
根本的に合わないのでしょう。
それでヴィニシウスは新しい相棒として、トッキーニョを抜擢し
亡くなるまでブラジル音楽への貢献を続けました。
一番下に二人の名品 喜びの奴隷 を紹介しておきます。

バーデン・パウエルは日本でもギターテクとかが話題になって
世界的スターと言っていい存在になりました。
名前が挙がったアーティストたちの中で当時
一番の大物と言っていいでしょう。
ですが世界を舞台するようになると、当初はともかく
音楽的にはちょっと伸び悩んだのかな。
ブラジルテイストはグローバルな世界では一時的流行ですし
思ったよりウケないことが続くと、方向性が
わからなくなってしまったのかもしれません。
ヴィニシウスとずっと一緒だったら、アーティストとしては
大成できた気がします。

祝福のサンバを聴くと、彼のギターテクの素晴らしさと
ブラジル音楽の豊かさがうまくかみあって
今でも新鮮に聴くことが出来るように感じます。
凄いパフォーマンスですよね?
ブラジルという豊饒の大地から離れると・・・だったというのは
なにか大切な処世訓を教えられる気がします。

しかし、3人の 祝福のサンバを聴いてみると
作者ならではの真情のヴィニシウス
持ち味と雰囲気のバルー
音楽的に今も興奮させられるバーデン
といったところでしょうか。

舎人は「男と女」の封切りには間に合っていませんが
名画として初めて観たとき、
作品を聴いたり、名前だけでも知っていたのは
ジョアン・ジルベルト、カルロス・リラ、ドリヴァル・カイミ、
アントニオ・カルロス・ジョビン、ヴィニシウス・ジ・モラエス、
バーデン・パウエル、エドゥ・ロボでした。
ドリヴァル・カイミは知ったか知らないか、くらい。
その後、ブラジル音楽に傾倒して耳なじんでいったのが
ピシンギーニャやドローレス・デュランです。

カエターノのレコードがようやく日本発売されはじめたような状況ですから
無理もありませんが、カエターノもシコ・ブァルキもマリア・ベターニァも
まだお尻の青い存在だったのでしょう。

でも、オリジナルに登場するカルトーラを
省いてしまったのは、なぜでしょう?
それはサンバへのほとんど冒涜でしょ?
たとえば二人の出遭いの時、ひょっとしてですが、小僧扱いされて
そんなこんなでピエール・バルーが嫌ったのかな?
なんて想像しちゃいます。
ネルソン・カヴァキーニョもアリ(アリ・バローゾ)も
落選・・・。残念ですねぇ。
あのブラジルの水彩画のアリ・バローゾですよ!

歌詞をこうして現代の目で振り返ると
生のブラジル音楽に触れ、思いっきりはまった
ピエール・バルーのお熱ぶりがほほえましくあります。
まだジョアン・ジルベルトが最初のレコードを出した頃です。
ヴィニシウスもトン・ジョビンも自分たちの立ち位置が
世界の音楽状況の中でどこにあるのか、一生懸命に生きている
現在形だっただけによくわかっていなかったようです。

サンバ・サラヴァが誕生するにあたって、ヴィニシウスは
ブラジルの音楽を好きと言う変種のフランス人が
ヨーロッパに種を撒いてくれたらと
そんな淡い期待もあって、フランス語への翻案を勧めたのかもしれません。
既にアストラッド・ジルベルトの「イパネマの娘」が大ヒットしていましたが
まだまだ層の厚さという点では一押しも二押しも足りません。

そんな時、俳優こそ知名度があっても、監督としてはほぼ無名の人物が
つくる自主制作の作品に急遽、組み込まれた「祝福のサンバ」です。
ブラジル大好きという人物設定や「サンバが入ってきた」などセリフも変更してと
いかにもヴィヴィッドな、生きの良さが感じられる撮影現場でした。
若さと新しい感性を信じて撮った映画が瓢箪から駒で世界的に成功し
この歌も「男と女のサンバ」などと呼ばれるほど世界から注目されました。
ヴィニシウスの狙いは予想をはるかに超えて
むしろタナボタのような幸運となって、本人を驚かせたのではないでしょうか。
それにしても、もちろん音楽としての魅力が不可欠だったでしょうが。

サンバとタイトルにしていますが、実際はボサノヴァです。
ま、ボサノヴァとは新しい傾向という意味だし
それはサンバの新しい傾向ということですから
そこは善しとしましょう。
創始者のひとりであるジョアン・ジルベルトが、
ひとりサンバと言っているのですから。

でも、ピシンギーニャはちょっと離れた
サンバとは兄弟と言われるショーロという分野の人。
ドローレス・デュランもより歌の要素が強いサンバ・カンサゥンでしょう。
ドリヴァル・カイミはバイーアの伝統に根差した独自の音楽を展開しています。
サンバと共通するところもありますが、
いかにも土着的な鄙びた味わいが違います。
どうしてもオシャレになりきれないのが、むしろ魅力です。
彼の代表作のひとつの Falsa baiana 偽りのバイーア女 でも
そんな魅力がこぼれてきます。パフォーマーが
ジョアン・ジルベルトであろうと、ガル・コスタであろうと、
クァルテット・エン・シーであろうと。

ベストトラックはクァルテットエン・シーがボサノヴァ50周年記念アルバムで
聴かせるメドレーですが、youtube で見かけたことがありません。
オシャレで、軽やかで、フレッシュでハイレベルのハーモニーの傑作ですが。

ジョアン・ジルベルト

ガル・コスタ

ボサノヴァのもうひとりの創始者、トン・ジョビン。
カエターノ・ヴェローゾで「最も美しいもの」を紹介した
作曲者のカルロス・リラ。
ボサノヴァ印の葵の御紋というか、証明書というか
名作の多くがその筆になったヴィニシウス・ジ・モラエスは
Bossa nova の人ということは、もちろんです。

ボサノヴァの創始者は
ジョアン・ジルベルトとアントニオ・カルロス・ジョビンの二人。
ピアノで創意工夫し、ひとつひとつボサノヴァを築き上げていったトン・ジョビン。
風呂場で響きを確かめながら、ギター一本でサンバをやりたいと思ったジョアン。
ジャズからアプローチしたり、自分で楽器を演奏する人は
トン・ジョビン派かな? なんて思ったりしますが。
ボサノヴァのしなやかさ、最も重要と思われる静寂を大事にしたのは
ジョアン・ジルベルトということで、個人的には彼こそ
ボサノヴァの神、なんて思っています。

ヴィニシウスは 祝福のサンバ を書くとき
大衆的人気では主流とはなっていないとしても、
ブラジルらしさ、そしてネグリチュード性といった音楽性
それと友情といった観点で、アーティストに敬意を捧げたくて
名前を列挙したのかもしれません。

恐らく、でも、サンバだ、ボサノヴァだ、ショーロだなどと
細分化などしても、むしろ百害あって一利なしだよ
なんて、ヴィニシウスは言うかもしれない。
ヴィヴィッドなあまりトンガったところがあるけれど
大らかに包み込むのがブラジルの音楽なのだよ
なんて言うんじゃないかな?
本当に好きなヤツはまじにぶつかって来るがいい
適当に好きなヤツは適当でいいのさ
Fica a Vontade! 気軽にやってくれ、なんてね。

ヴィニシウスとトッキーニョが組んだサンバでしめくくりましょう。
白人と黒人とが、サンバ・サラヴァの歌詞に出てきましたが
白人が本来、黒人の成分が強いサンバに取り組むとこうなる、
といった趣の典型的なサンバでしょうか。
日本語訳は ヴィニシウス・ジ・モラエス 喜びの奴隷 のページで。

せっかく生まれたのだから
軽やかに生きていたい。
できれば、深くもありたい。
ボサノヴァ Bossa nova は時に、
そんな綱渡りを可能にし、体現していたりする音楽です。
だから「男と女」に、あんなにピッタリと収まることができたのでしょう。

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