ロマンス ランボー 和訳 レオ・フェレ 文学的シャンソン
ボードレールらの詩をシャンソンに仕立てているレオ・フェレ。この曲は
ランボーを彼流に音楽作品に仕立てています。オーケストレーション
などのお陰もあって独特の香気があります。この詩を捧げられた?長男のこと
なども(イタリアでワインつくりをしているようですが)、どうぞ。
★ 誰もディスっていない翡翠マグ・ヒスイウォーターの効果 ★
<ヘルス>
☆風邪予防 ☆アトピー、乾燥肌、湿疹、水虫、股間の痒みの解消
☆肌がかゆくて眠れない方のヒスイウォーターリポート
☆失った嗅覚の改善・恢復 ☆ばね指の症状改善・解消 ☆虫歯・歯周病の痛みの緩和
☆瘢痕拘縮(はんこんこうしゅく)の痛み緩和・解消
☆筋肉痛・筋肉疲労の緩和・解消 ☆ストレッチ代わりの筋肉柔軟化
☆水道水が弱アルカリ性のイオン水に変化
<衣類>☆白カビ退治
まろやか!!で、おいしく
喉越しがすんなりいくような、甘味すら感じ
<グルメ>
☆味わいのある水へ変化
☆まろやかでおいしく、喉越しがすんなりと甘みさえ感じたというリポート
☆日を追ってやわらかい感触になった水
☆本当にやわらかくてまろやかなお味に変化!というリポート
☆お水が飲みやすくなった
☆緑茶が美味しく変化
☆コーヒーがまろやかに変化
☆コーヒーが確実にまろやかにというリポート
☆出汁とりの水として味わいがまろやかに変化
☆しっかりとお出汁の味を感じたというリポート
☆お吸い物がロマン感じる1杯に
☆まろやかで優しいお味。舌でころがすと、とろみがある感じ
☆ゴボウなどのアク抜きで素材の味わいがアップ
☆翡翠マグを入れた水で野菜を洗うとシャシャキとした美味しさにというリポート
☆酒類の味がまろやかに・悪酔いしにくく変化
☆ぬか漬け(キュウリ)がまろやかに変化
☆豆腐がまろやかで甘く、やわらかく変化します
<ペット>猫や犬(小型犬)のチョイスは普通の水ではなく、同じ水がヒスイウォーターとなった方です
☆愛犬は知っている。ヒスイウォーターの秘密を?
☆ニャンコたちが翡翠マグの水にまっしぐら
<不思議な楽しみ>
☆パーティグッズとして盛り上がっちゃおう!^^ 何人まで成功するかな?
1年生になったら~♪ なんてコマーシャルソングがありましたが
17歳だったら・・・というランボー Arthur Rimbaud の白日夢。
「邯鄲の夢」ならぬ、菩提樹の散歩道に想いを馳せる物憂い午後の10代の夢想。
16歳のランボーの輝きと勢いに敬意を表して翻訳しました。
レオ・フェレは過去を懐かしみ、愛おしんでいるようだけど。
オーケストレーションもレオ・フェレですが、やっぱりフランスっぽいよネ^^
(フランスっぽいがわかんないなら、ドイツ風じゃないってことで^^)
一番下にジュリアン・クレールの動画を。
同じタイトルの2枚組CD(1986年)の冒頭を飾る曲です。
アルバムジャケットを飾る写真は、54歳で得た息子(1970年生まれ)との2ショット。
年老いたアナキストである父親が、間もなく17歳となる息子マチューへ贈る
応援メッセージ。精一杯、青春を生きなさい。いろいろあっていいんだ。
若い時は sérieux 深刻 真面目 品行方正 ばかりじゃ、むしろ、ダメなんだよ・・・。
この単語、訳語としては 良い子 の方が、全体の中でわかりよかったかなと、
翻訳を了えた後、恨みが残ります。品行方正 なら、別のフランス語単語もあるわけで
いろいろ悩んじゃう。深刻 本気 真面目etc.・・・.
結局、巡り巡って 真面目 がいいのかなぁ?
しかし、父親レオの想いを想像すれば、ランボーの意図とは別になんか感動的であります。
そしてアルバム最終曲に彼らしくもキビシい
Lorsque Tu Me Liras を置いているわけですが。
では、レオ・フェレの On n’est pas sérieux quand on a dix-sept ans
ランボーの作品としては Romance(恋物語)の翻訳です。
あ、レオ・フェレは作品の冒頭の1行をタイトルにしています。
おわかりでしょうけど。
マチューへのメッセージの意味が明確になりますよね^^
解釈や用語の解説も * で、9か所、施しています。
真面目でなんかいられない 17歳だったなら
或る素敵な夕暮れ ビールにもレモネードにも
めくるめくも騒々しいカフェにだって うんざりサ!
歩くんだ 菩提樹の散歩道 その緑の樹々の下を *1
★舎人独言にどんな音楽がある?を探す
ミュージックリスト(目次.クリックできます)はこちら。
菩提樹の樹々は素敵にかぐわしい 6月の素敵な夕暮れのなか
空気は時に余りにも甘く 誰もがまぶたを閉ざすほどで
風は満ちていた ざわめきに ――街は遠くではないー―
ワインの香り ビ-ルの匂いに
ほら ご覧あれ まったくもってちっちゃなシフォン *2
ダークブルーで 小枝の模様が入って
まがまがしい星に突き通され それは融けてゆく *3
柔らかに慄(おのの)きながら ちっちゃくて まったくもって白くって
6月の夜! 17歳! うっとりするゼ
ぐったりしてサ シャンパンで 1本丸ごと空けちゃって
ふらつくよネ で、感じるんだな 唇にキス
震えてて そら ちっちゃな生き物みたいサ
心は狂おしくも漂流ロビンソン ロマンを通してモノを見る *4
と、折しも 青白い街灯の明るさの中 お嬢さまが通りかかる
ちょいと魅力な様子でサ
父親のいかめしいカラー(襟)の保護下なのサ
それで お前がまったくもって初心(うぶ)と見て取るや
かわいいアンクルブーツを速足で駆けさせつつ
彼女は身をひるがえし 気を引くんだ テキパキときたもんだ
お前の唇に さあ カヴァティーナは生きちゃいないゾ *5
お前は恋をする 骨抜きだ 8月まで *6
お前は恋してる お前が書くソネットが彼女を笑わせる
友達はみんな姿を消す お前はイヤラシいんだ *7
そんなことがあって 最愛の女は或る夕暮れ
かたじけなくも お前に手紙を書く! *8
その夕暮れなのだ お前はあのめくるめくカフェに戻る *9
ビールかレモネードを注文するんだ
真面目でなんかいられない 17歳だったなら
散歩道には緑の菩提樹があるってことサ
無断転載はご容赦ください。リンクはフリーです。
*1 菩提樹(ぼだいじゅ)はミツバチが集まって蜂蜜を採取するほど甘い香り
のせいもあってか、そもそも、男女の愛を結ぶ樹とされる。
この詩のラストなど、生きてりゃ、どこかここか、恋愛沙汰だってあるサ
とでも言いたげな描写です。
人間到る処青山あり ではないが、到るところ青い菩提樹はある
と、ナマイキ盛りの見者ランボ-君でしょうネ^^
*2 シフォンは、ネット情報では、柔らかいものが婦人用のベール、肩掛け、夏用の
衣類や帽子の装飾などに使われる。丈夫なものはレース、ブラウス、スカーフなど。
英語のサイトではハンカチと翻訳していた例もありました。
*3 Piqué d’une mauvaise étoile この Piqué を、突き通されて と訳しましたが
縁取りとしている翻訳もあります。そうでもいいのですが、まがまがしい1つの星
une mauvaise étoile を、自分(ランボー)との出会い とみて、そんな出会いが
女性の人生に結局、ダメージを与えるという露悪的イメージを意識した結果の翻訳です。
もちろん突き通すのは針であり、針のように 何か^^ が貫き通すという暗喩。
妄想の pénétration といった意味でなくて、どうしてこの一連が存在しているでしょうか?
*4 タイトルは Romance ロマンス。ここは à travers les romans, で ロマン。
ロマンスとロマンの違いは、まず、ロマンは小説一般を指します。
アダモの Notre roman は恋愛オンリーの内容だから、邦題通り 恋物語 でいいわけです。
ロマンスの説明として a prose narrative treating imaginary characters involved
in events remote in time or place and usually heroic, adventurous, or
mysterious とあります。つまり、時間的・空間的に離れている出来事に巻きこまれた
想像上の人物を扱った散文詩。通常はヒロイック(英雄的)だったり、冒険に富んでいたり、
ミステリアスである。とありますから、まさにタイトルは、ロマンスがピッタリ。
ランボ-は読み散らかした数々のロマンに感化されて、恋の冒険、アヴァンチュールへと
想像の翼をはばかたせていた。これも実は大人への階段なんですけどネ^^
*5 もう悠長なカヴァティーナなんか口ずさんでいる場合じゃないってわけネ^^
事態は急展開です^^
破壊的でスピード感のあるロックナンバーが現代でしょうが。
カヴァティーナ の実例の動画は下の方で。
この時代、やっぱりベートーヴェンでしょ。
映画「ディアハンター」で、ジョン・ウィリアムズが素晴らしく
チャーミングな「カヴァティーナ」を創っていますが。
*6 期限をつけるということは、恋愛の時間の支配者ということ。
自分が期限をつけるのだから、あくまでも自分の支配下のラヴアフェアとなります。
恋を仕掛け、意図的に破り、相手の意思をスルーして傍若無人に己の力を示したい青春。
ダリダが歌った 18才の彼 が思いだされます。
年少の生意気で可愛くて怖いところもある男子が
気取りと機知にあふれたエッチな詩(ソネット、14行詩)
を書いて、彼女を笑わせます。
*7 見者 voyant ランボーからすれば、彼らは「馬鹿な学校友達」で
つまりは品行方正、社会と親のルールを守って安全な道を歩くっきゃないヤツにゃ
わかりもしめぇ、俺は女もセクスも怖くはないゼ、といったところ。
一人前の女性とつきあい、女性を振り回してやったゼ、という勲章です。
しかし学校も家庭も、どうして 良い子 をつくろうとばかりするものか。
そのほうが扱いやすいし、安心できるんだろうけど、できあがるのは嫌味な子供だゼ!
子柄がいい、とのはまた違うんだ、だけど、これが女性にはなかなかわかんない。
自分の理解が及ぶ範囲内に、とかく母親らは留めたがる。人間はちっちゃくなるばっかりサ。
確かに、こんな自分勝手な若い男は好きじゃないけどネ。
*8 手紙、つまり恋文ですが、証拠となるラヴレターを手に入れた以上、恋の勝利者は
自分に確定したということ。後々、彼女の縁談にトラブルとなりかねない戦利品!
脅迫に使うわけじゃない。プライドにかけて、そんな卑しさは持たないけれど
上等な獲物をしとめたもんだゼ!という満足感。要は、恋愛にもなっていない、この
年長の女性とのラヴアフェアで、自分の力を確認し、満足できればいいだけ。
彼女はモズのいけにえだ。ちなみにシャーロック・ホームズもポワロも
「誤解を招きかねない」手紙を、王家や貴族階級の女性、そうした階級の男性と婚約
した女性の依頼を受け、手紙を取り返すべく個人宅へ不法侵入を決行しています。
ポワロなんか通報されて牢の中に入ってましたね。
*9 冒頭第1連の2行目で Un beau soir 或る素敵な夕暮れ が登場する。
最後のヴァースで Ce soir-là が出てきて 夕暮れ という点では同じです。
となると、では、この là とは、どんな夕暮れなのかが問われるわけです。
ce この という言葉も相まって、この là をも訳出しないと
ランボーがわざわざ挙げた là の重要さを見逃すことになるのでは?
というわけで その夕暮れなのだ と翻訳し、最期のヴァース全体の状況を示している
と解釈しました。
脚注をつけるの、忘れちゃったけど monte à la tête は
酒類を自分ひとりで瓶のてっぺんまで、つまり1本丸ごと空けちゃうこと。
つま先から頭のてっぺんまで、アルコール漬けです。
具体的には、この最後のヴァースで、ランボーは夢想することを自らに許すことを止め、
ランボーは最初のヴァースの騒々しいカフェに立ち返ります。
夢から覚めてシニカルにも冷徹な見者となり、自分を等身大の自分として描く、その
スイッチとなる Ce soir-là という解釈です。
言ってみれば、それまで語ってきたことが、この時点で大どんでん返しとなります。
実際には 歩くんだ 菩提樹の散歩道 その緑の樹々の下を といったことは
起きてはいなかった。ただ見者として、 散歩道には緑の菩提樹があるってことサ
と、知ってはいます。第三者が見ていれば、冒頭からして 注文したビール(17歳だけど)
かレモネードを前に空想にふけっているか、屈託を抱えてぼんやりしている
といった風に見えるだけ、という一見大人びたアンニュイな(!)自分を描いたわけです。
酒にしても女性にしても、若い男にとっては重要な通過儀礼!?
どうして想像の翼をたたむかといえば、勝ちを収めた以上、もう女には用がない。
目的は達成した。征服は大成功。ロマンスのタイムスリップはそれで充分。
アヴァンチュールの幻想から、未来の17歳の現実にあるだろう、その夕暮れに
立ち戻って(書いた時点からは、それでも未来だけれど)、さりげなく、日常に
埋もれていたほうがカッコいい。ロマンスは人知れずこっそりと。
それが首尾上々の完結ってものでサ。
恋の要諦を見切ったと思っているナマイキティーンエイジャーの美学。
はっきりと、どんでん返しとして解釈を示したのはネット上でも、図書館で調べても
2017年7月13日現在、ほかにはないようでした。そういえば sérieux という
単語を、真面目 とか 品行方正 と翻訳した例もないようです。良い子 はもちろん。
全体、女性とはどんなに上品ぶった令嬢でも、本音は性衝動に肯定的で
親の目を盗んででもスキあれば色事に向かうし、男ならそこをうまくつっつくべき
なんて、10代らしい傲慢な見切り方でランボーは決めつけていないかしらん?
反論は、見者ランボーにどうぞ^^(ランボ-なら文句が言えず、芸人が言ったら大炎上?
光源氏は拉致監禁・少女強姦のハンザイニンだゼ! カヴァティーナなんか、捧げてる
場合じゃないんだゼ。非難しろよ!・・・じゃない?)
しかし、ほっておけば勝手をする女性に手綱をつけるには、関係を結んでしまうしかない。
それは、いわゆるヒモの手口だけど、どうやら真実の一面もあって、そういう関係にならないと
男女の関係は一定の安定を見ないかのような印象があります。
そういう関係になって初めて、女はわき見することなく、男を真正面に据えるようになる。
今度は真正面に据え過ぎて、逃がさないかのような集中を見せたりする。
そこまでわかっていたかどうかまではわかりませんが、ランボーが女性の扱いを
クールに割り切った方法で想像したのは、方法論としては悪い筋じゃない気がする。。。
ランボーがこのロマンスを完成させたのは1870年9月23日。
舎人にとってはちょっと意味ある日なんだなぁ。
ランボ-は1854年10月20日生まれだから
あと1か月ほどで16歳となる、若干15歳の詩人の
ちょいと背伸びしてアナーキーなアヴァンチュール幻想です。
17歳だったなら と翻訳しました。17歳になったら とは訳さなかった。
~になったら の場合、その日を今や遅しと待ち構えていて、さぁ、テープを切ったゾ
思い通りアヴァンチュールに突入だ・・・といった逸(はや)る気持ちで、物欲しげな感じ
がするなぁ。ランボーはほかの詩でも、17歳にたびたび触れていますが。
~だったなら の場合は、もう17歳は日常的な当たり前の状態に落ち着いています。
逸る気持ちで突入するアヴァンチュールじゃないサ。そんなのは幼稚で田舎者のやることで
クールに生きるのがカッコイイのサ! 逸る気持ちは見者ランボーのダンディズムには合わない。
レオ・フェレ Léo Ferré(1916年8月24日生まれ)は58歳の1974年、3度めの結婚として
イタリアのフィレンツェで挙式した。新婦は確か秘書だったとか読んだけれど、
Marie-Christine Diaz(1947年4月25日生まれ)。最初の妻は、(マリーが)家にいたのだから
賢明な選択とか言って、歓迎したそうです。秘書と言うより、お手伝いさん?
フランコ政権下のスペインから逃れてきた共和国政府支持派の一家の娘で、年の差は31歳。
知りあったのは1967年で、挙式時、長男のマチューは既に4歳だった。
25の動画で紹介するウェディングソング隠れた名曲集はここから
舎人独言には
★エロスに変容するバラの寓意
★ノートルダム大聖堂の聖なる秘数
★オパキャマラドの風景
★映画「華麗なる賭け」チェスシーンのセクシーの秘密
★名盤「クリムゾン・キングの宮殿」の実在のモデル発見
★映画「男と女」サンバ・サラヴァの謎
といった解読シリーズがあります。
カヴァティーナ Cavatina は抒情的な旋律の小品といった意味。
その価値を認めないわけじゃないけど、17歳にはかったるい一面もあります。
ベートーヴェンの弦楽四重奏曲第13番(作品130) 第5楽章 です。
ランボーの時代は、ベートヴェンのこのカヴァティーナで決まりですね。
ジョン・ウィリアムズ John Williams が名画「ディアハンター」のために
書いたカヴァティーナも素敵です。ベトナム戦争など知らず、静かに暮らしていくべき
もし道が逸れたなら、戻るべき本来の心穏やかな生活が描かれています。
lorsque tu me liras 君が読むとき
Christie とありますが、妻のクリスティーヌのことでしょうね。
風の中の存在となったレオの感謝と愛のシャンソン。
欄外的追加です。
Julien Clerc ジュリアン・クレールが歌っています。
ジュリアン・クレール Julien Clerc は同じレオ・フェレの作品
Mon camarade をライヴの最後に弾き語りしたのが忘れられません。