Make Me A Channel マザーテレサの祈り 和訳 フランシスコ アーメン 阿吽 オウム 曼荼羅
敬虔な信仰に基づく歌は、舎人独言の中では、この曲のほか
ロベルト・カルロスの 聖母マリアの歌 ロザリオ、メルセデス・ソーサ
が歌う La Peregrinación さすらい があります。
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マザー・テレサが日常に口にした祈りです。元は
アッシジ(イタリア)の「聖フランチェスコの平和の祈り」
とされるものです。
この祈りが登場したのは約700年後で、聖フランチェスコ
とは直接の関係はありませんが、その精神を受け継ぐ祈祷
という位置づけのようです。
宗派の壁を越え、さまざまな場で祈り、引用されています。
賛美歌として、故ダイアナ妃の葬儀ほかで捧げられています。
Make Me a Channel of Your Peace
by Andrew Johnson
わたしを あなたの平安の道筋のひとつとしてください
憎しみのあるところ あなたの愛をもたらせますように
傷ついた人に 主よ、あなたの赦免(しゃめん)を
疑いのあるところ あなたへのまことの信頼を
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わたしを あなたの平安の道筋のひとつとしてください
生きることに絶望があるところ
わたしに あなたの希望をもたらせさせてください
暗闇あるところには ただ光を
悲しみの場には つねに喜びを
おお 主、キリストよ お聞き届けください
人を慰めるとき 慰められることを
わたしが あまりに多く求めることがありませんように
理解するより 理解されることを
すべての同胞と愛をわかちあうとき 愛されることを
あまりに多く求めることがありませんように
わたしを あなたの平安の道筋のひとつとしてください
わたしたちが赦(ゆる)されてあるとは
わたしたちが赦す故(ゆえ)のことです
わたしたちが恵みを受けるとは
わたしたちがすべての者に与える故のことです
わたしたちが永遠の生へ生まれるとは
わたしたちが死を受け入れる故のことです
聖母マリアの歌はここをクリック
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無断転載はご容赦ください。リンクはフリーです。
25の動画で紹介するウェディングソング隠れた名曲集はここから
舎人独言には
★エロスに変容するバラの寓意
★ノートルダム大聖堂の聖なる秘数
★オパキャマラドの風景
★映画「華麗なる賭け」チェスシーンのセクシーの秘密
★名盤「クリムゾン・キングの宮殿」の実在のモデル発見
★映画「男と女」サンバ・サラヴァの謎
といった解読シリーズがあります。
聖母マリアのロザリオの歌 O Terço
(翻訳は、ロベルト・カルロスの
聖母マリアの歌のページで)
カトリック教会に属するカルメル会のものとされる
日本語訳(一部で異同があります)をご参考にされてください。
マザー・テレサが日常に口にした祈りです。元は
アッシジ(イタリア)の「聖フランチェスコの平和の祈り」
とされるものです。
この祈りが登場したのは約700年後で
聖人とは直接の関係はありませんが
その精神を受け継ぐ祈祷という位置づけのようです。
宗派の壁を越え、さまざまな場で祈り、引用されています。
賛美歌として、故ダイアナ妃の葬儀ほかで捧げられています。
詳細はウィキペディアでご覧ください。
翻訳のニュアンス、意味を確かめるためには、原文にあたってみてください。
Make me a channel of your peace
Where there is hatred let me bring your love
Where there is injury, your pardon Lord
And where there is doubt true faith in You
Make me a channel of your peace
Where there is despair in life let me bring hope
Where there is darkness only light
And where there’s sadness ever joy
Oh, Master grant that I may never seek
So much to be consoled as to console
To be understood as to understand
To be loved as to love with all my soul
Make me a channel of your peace
It is in pardoning that we are pardoned
It is in giving to all men that we receive
And in dying that we are born to eternal life
In Westminster Abbey
シンニード・オコーナー(個人的に最も共感します)
マザー・テレサが来日の折、お世話をされた
渡辺和子さんのお話を、ある方からうかがいました。
たくさんのフラッシュを浴びていたマザー・テレサが
「シスター、私はフラッシュが
ひとつたかれるたびに、
死にゆく魂が神様のみもとに
安らかに召されるように
神様と約束をしてあるのです」
と、おっしゃったのだそうです。
いいことがちっともなくて、
神や人、世間を呪っていた人たちの魂が
「サンキュー」と言って穏やかに、
この世と和解して死んでいくために、
煩わしいけれど、疲れているけれど、
笑顔をするんです、と。
さて、イエスさま、マリアさまの語源や
ノートルダムほか大聖堂の秘密などを
別のページで書いていますが
宗教の用語について、また余談を。
アーメンの意味を、ウィキペディアで見てみたら
「まことに、かくあれかし」とか「どうぞ、、そうなりますように」
ということで、間違いではないです。
ただ、ちょっと情報を追加したいと思います。
ヘブライ語に語源を求めるのは、そうかもしれませんが
もっと根本的に遡れると思われます。
アーメンの起源はインドだと思われます。
日本ではとても悪いイメージがついてしまいましたが
オウム が源流です。
手紙の最初に「オウム」と挨拶をしたのは
岡倉天心と文通をして友情というか愛情と言うか
心を通わせた女性が、そうでした。
恐らく、個人の趣味ではないと思います。
今で言うバングラデシュの女性です。
真言などで、よく オン という言葉が耳に印象を残しますが
同じオウムの使い方ではないかなぁと
これは推測ですが、思っています。
チベット仏教の僧侶たちが「オウム」と唱えるのを
NHKのテレビ番組で聞いたことがあります。
地から沸き起こるような迫力がありましたが
オウムというより
ゥゥゥォォォオオオオオオオオウウウゥゥゥゥゥームmmmm
といった感じでした。
ウィキペディアで「阿吽(あうん)」を見ると
神社の狛犬に使われているとあります。
山門を守る仁王様もそうですね。
神社も仏閣も日本では同じく
阿吽として伝わっています。
サンスクリット語のオウムが
西に伝わってアーメンとなり
東につたわって阿吽となったわけです。
こういう根本的なところでの一致は
世界はひとつ、という証左ではないでしょうか?
さて、では、なぜ、狛犬や仁王様が
阿吽の形を取っているかが問題です。実は
二つが対になって目に見えない線が張られています。
宇宙の始原を阿が、終焉を吽が示しています。
(誕生から消滅までを 劫 といいます。
八劫の縁 なんて強烈な縁を指す言葉もあるそうです)
このため宇宙の象徴として神聖さを備えている、とされます。
阿と吽による線で、俗空間と区別する
聖なる空間としての結界としているわけです。
お参りをするときは、聖なる宇宙線を意識してみてくださいね。
それと仏教の真理をひとめで示すものとして
曼荼羅があります。
この曼荼羅の意味は、「そこにあるかのように把握する」
ということと読んだことがあります。
羅は、そこにある を意味していて
それならフランス語の ラ と同じだぁと
興味深く読んだものでした。