パワーストーンの真実。

舎人独言

健康&グルメに・・・ 翡翠 のパワー。

ゲンズブール シャルロット 和訳 レモン・インセスト 解読 ショパン

今回、採り上げるのは問題作「レモン・インセスト」、
Charlotte Gainsbourg & Serge Gainsbourg の Lemon Incest です。
父親のセルジュ・ゲンズブールが娘のシャルロットを相手に・・・。
ですが、ちゃんと翻訳して解読してみると、そんなアブナい歌ではないとわかるはず。
またシャルロットの内省的な L’un part, l’autre reste の和訳も舎人独言にあります。
 芸能人って新作映画に主演すると番組宣伝のために露出を増やしますが。
シャルロットがゲンズブールの死をつらく感じていたことや、孫である自分の子どもたち
とゲンズブールとの関係を語っています。一番下にネット配信の記事を残しておきます。
さらにその下にシャルロットが父を語ったインタビュー記事も。

アトピーや乾燥肌など肌トラブルでかゆい方の約70%はかゆみが消えます。
ステロイドで効果がない方を含めてです。
で、魔法の水 とよく言われます。違います。
「宇宙」とか「人体」と同じように、現代の科学がまだ追いついていないだけ。
ヒスイウォーターは新しい技術として注目されている、太陽光と同じマイクロ波や
テラヘルツ波を生かした水。舎人が約20年も飲み続けている安全で美味しい品格の水です。。
かゆくて眠れない方のヒスイウォーターリポート

青雲舎(株)の翻訳を信じるなら翡翠マグも信じてくださいネ。
明治時代の人には電子レンジが信じられないようなものですが、
誰もディスっていないでショ?^^ ちょっとしたキセキなのです。
味わい・お茶・お酒・味噌汁などで試していらっしゃる方のヒスイウォーターリポート

  

  

翻訳を読む前に。
歌詞の3行目にフランスの素朴派の画家、ルソーの絵が登場します。
Henri Rousseau アンリ・ルソーは日曜画家で、その職業から
Le Douanier Rousseau 税関ルソー と呼ばれました。
ゲンズブールは歌の冒頭で  nierdoi sseaurou ニエルドワ・ソール と
税関ルソーの「税関」douanier を dou と anier に2分割したうえで前後を逆に、
また ルソー Rousseau を sseaurou と逆転させて表記することで、なにかを
伝えたいのです。つまり、これは逆さまの世界ですよ、まともじゃないんです。
普通に読んだらダメ。よく承知しておいてね、というメッセージなのでは? 

ここを見逃すと、インセストという言葉に反感ばかりが募って
非難か、この名曲そのものをスルーってことになっちゃう。それこそ炎上ものです^^
だから、ちゃんと聴いて正しく理解してくれ、と言っているんでしょうネ。
インセスト に見せかけて、同じくらいに熱い、しかし実は別物の、
正常な親子の愛情を描いた歌の世界というわけです。
(2015年11月10日現在、税関ルソー nierdoi sseaurou の解読を上記の
ように試みた例は、ネット上ではほかにないようです。
またライナーノーツでも指摘されていなかったと記憶します)

またルソーが 素朴派 Naïve ナイーヴ と言われることから、この言葉を
歌詞に取り込んで、この父と娘のインセストに見えるほどの濃い関係は
実は素朴な感情なのだと言い放ちます。
合いの手の Papapappa は、もちろん、パパ を念頭に置いての言葉。
ダダダとかママママじゃなくて、パパパパでないとダメ。
やっぱりゲンズブールらしい仕掛けですね♪
しかも英語の not を意味する pas パ でもあって、違うわ、違うったら、
そんなんじゃないのと、パパの主張を肯定する合いの手となっているようです。
ま、インセストがダメなら、バルバラ の NANTES ナント のほうがずっとヤバい。

音楽のベースとなっているショパンのエチュードも、日本では 別れの曲 ですが、
フランスではちょっと意味合いが違います。(4つ目の動画の下で)

★舎人独言にどんな音楽がある?を探す
ミュージックリスト(目次.クリックできます)はこちら。

シャルロット)
シトロンのインセスト (父と娘のレモンの相姦)
愛してる 愛してる 愛してる なによりもよ (パパ パパ)

セルジュ)
素朴なことはアンリ・ルソーの絵のように
お前のキスはとても甘い

シャルロット)
シトロンのインセスト (父と娘のレモンの相姦)
ジュテーム(愛してる) ジュテーム ジュテーム なによりもよ(パパ パパ)

シャルロット)
愛 わたしたちが決して共にしないもの
それは最もレアで 最も気に障り 最も純粋にして最も興奮させる
セルジュ)
見事なる草案 美味なる児 わが肉でありわが血
おお わたしのbb(bébé べべ=ベイビー) わたしの魂

シャルロット)
シトロンのインセスト (父と娘のレモンの相姦)
ジュテーム ジュテーム ジュテーム なによりもよ (パパ パパ)

セルジュ)
素朴なことはアンリ・ルソーの絵のように
お前のキスはとても甘い

シャルロット)
シトロンのインセスト (父と娘のレモンの相姦)
ジュテーム ジュテーム ジュテーム なによりもよ(パパ パパ)

シャルロット)
愛 わたしたちが決して共にしないもの
最もレアで 最も気に障り 最も純粋にして最も興奮させるもの
セルジュ)
見事なる草案 美味なる児 わが肉でありわが血
おお わたしのbb わたしの魂

シャルロット)
シトロンのインセスト (父と娘のレモンの相姦)
ジュテーム ジュテーム ジュテーム なによりもよ (パパ パパ)

セルジュ)
素朴なことはアンリ・ルソーの絵のように
お前のキスはとても甘い

シャルロット)
シトロンのインセスト (父と娘のレモンの相姦)
ジュテーム ジュテーム ジュテーム なによりもよ(パパ パパ)

シャルロット)
愛 わたしたちが決して共にしないもの
それは最もレアで 最も気に障り 最も純粋にして最も興奮させる
セルジュ)
見事なる草案 美味なる児 わが肉でありわが血
おお わたしのbb(べべ=ベイビー) わたしの魂

シャルロット)
シトロンのインセスト (父と娘のレモンの相姦)
ジュテーム ジュテーム ジュテーム なによりもよ (パパ パパ)
セルジュ)

シャルロットが歌った名作 L’un part, l’autre reste はここをクリック

無断転載はご容赦ください。リンクはフリーです。

フレンチ・ポップス 名曲30選 のページはこの行をクリック

 
しかも下敷きにしているのがショパンのエチュード(練習曲) 作品10-3です。
日本ではもちろん、「別れの曲」という名前で知られます。でも
ウィキぺディアに、こうあります。
西欧においては「Tristesse」(悲しみ)の愛称で知られるが、ときにフランス語圏で
「L’intimité」(親密、内密)、英語圏で「Farewell」「L’Adieu」(別れ、別離)

ゲンズブールがこの曲を元にしたのは第一に、シャルロットとの関係は
親密と同時に内密なことであり、大人になって、いつかは自分から離れていく
そんな我が子との別れを思ってのことかもしれません。

セルジュ・ゲンズブールは一般的なイメージと異なり
実は小心者だったろうと思います。それに
娘を嫁に出したくない気持ちは、男親なら
ある程度、わかるでしょ?
このシャンソンは、それと根っこが同じでしょう。
ちゃんと?^^翻訳すれば、頭から忌避するような
そんなに酷い歌詞ではないように思うのです。既に
日本語訳を添えて紹介済みですが、シナトラ父娘の
Something stupid 恋のひとこと だって、世間は、まぁ
喜んで受け入れているのですから、ゲンズブール父娘だって、ね?

それに Lemon Incest のレモンって
刺激的でピリッとするけれど、見方次第では
爽やかさだってありますよね^^
小池真理子が同名のミステリーを書いていますが
この歌のタイトルを援用しているのかな?
レモンをつければ、何でも爽やかになるわけじゃないんだけどね。

それと lemon un zeste とちょっと濁音化して セ が ゼ になると
レモンの熱意・欲求・妙味・味わい・風趣となります。
ゲンズブールならではの言葉遣いで
レモンの味わいについて歌ってるだけだゼ、ってことにもなりそうな。

あっと、bbって小文字で べべ を表現したけれど
もし大文字で BB とやったら、同じ べべ でも
ブリジッド・バルドーのことになっちゃう。元恋人だし
失礼にもなるから、ちゃんと区別したんですね。
常識人の一面もあるわけです^^

んまあ、インセストですって!? 不道徳でしょ!!!
インセストと言った途端、ネット社会では
炎上してしまうのでしょう。その言葉が独り歩きして、
全体の中で、どういう意味合いで使われたかなんて、
聴く耳を持ってもらえない。まるで言葉狩り、魔女狩りです。

でも、シャルロットもちゃんと歌っているじゃないですか1
L’amour que nous ne ferons jamais ensemble
愛 わたしたちが決して共にしないもの って。
表層的なことに騙されず、ちゃんと読み、聴くことができる人が
もっと大勢になればいいと思います、
ヒステリックな対応する人に、たしかにこのシャンソンは無縁です。
残念なことですね。

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    舎人独言には
    ★エロスに変容するバラの寓意
    ★ノートルダム大聖堂の聖なる秘数
    ★オパキャマラドの風景
    ★映画「華麗なる賭け」チェスシーンのセクシーの秘密
    ★名盤「クリムゾン・キングの宮殿」の実在のモデル発見
    ★映画「男と女」サンバ・サラヴァの謎

    といった解読シリーズがあります。

シャルロットはちゃんと独り立ちして、素敵なアーティストになっていますね。
Charlotte Gainsbourg & Calexico  で ボブ・ディランを採り上げました。
Just like a woman

フレンチ・ポップスらしい旋律美はこちらで。ミシェル・ベルジェの作品。
L´un part et l´autre reste 1人は旅立ち もう1人は残った

こちらは本当に正真正銘の問題作でしょう。よくわかりませんが。
ビートとは、ダブルミーニングでしょうね。
音楽のビートと続けて殴りつけることと。

Love on the beat  ラヴ・オン・ザ・ビート

女性の気持ちを(ある程度までの若い女性は、女の子の気持ち
がピッタリくるかも)わかってよ
というのは男性にとっては、女性からのリクエストであると同時に
圧力でもあります。男性の器量次第で、簡単に処理できたり
ストレスであったりするでしょう。
で、そのリクエストの成果なのでしょう。恋愛というか。おつきあいは
次第にソフィスティケイトされていきます。
それはいいのですが・・・。
それが世代を超えて堆積し。お国柄の恋愛の一面となると
ゲンズブールがこの歌で描いた状況も突然、出現するのかな?

もうね。とっても細やかになって、そこまで繊細じゃないのが男ですから
わけわかんなくなっちゃう。わけわかんなくなっちゃうと
性的な関係も次第に活力を失って行っちゃうんですよ。
ところが、女性はそこがわかんないんでしょう。その時は
ちゃんと男らしく振舞ってよ、とまたリクエスト・・・。
多分。男性にとっては方向性が正反対で違う矛盾のような要請。
で、突然のちゃぶ台返し。
そうすると、こんなシャンソンみたいなことになるのかな。

細かいことはもういい。ソフィスティケートなんて、くそ食らえだ。
単純に強者と弱者でいい。
男が強者であったり、まれには女性が強者であったりもするのでしょう。
そうやって強者が弱者の権利を奪い、一方的に支配する。
また弱者も。意識してか心ひそかにかはともかく(または本当は
わかってるくせに、体面上、わたしが望むんじゃないという形を取ったり)
その支配を望んだりする。ブランショを読んで
強者と弱者という人間関係のくくり方があると知ったんだけど
そうやってゲームとしてのSMが成立するのかな?

個人的には、このように強圧的に、一方的に支配するなんて
とてもできません。小心者で気が弱いからなぁ。まぁ想像するだけです。
ある程度まで調教するというコンセプトは共有できるんですけどね。
だって女性からのリクエストだって調教の一種ですから。これは普通でしょう。
やっぱり恋愛は難しい。
その点、人間関係を肉体に還元しきってしまうのも、時にはいい
って感じる方たちもいるんでしょうなぁ。

しかし、ラブ・オン・ザ・ビート とはねぇ。
よく思いつくナァ。

娘のシャルロット・ゲンズブールは、(2023年)4月16日の仏「Version Femina」誌の
インタビュー記事で、子どものベン、アリス、ジョーとセルジュ・ゲンズブールの
関係について語っている。「ゲンズブール家では……おじいちゃんがいなかった!」と。

「(セルジュ・ゲンズブールの死から約6年後の1997年に)ベンを産んだ時、私はまだ
深い悲しみから癒えておらず、イヴァン(アタル)は子どもに良くない影響があること
を心配しました。だから父の話題は避けていたのです」とシャルロットは言う。
「いずれにせよ、私には父のことを口にすることも、父の歌を聴くことも
不可能でした」と当時の心境を語った。

しかし、子どもたちは祖父との繋がりを築くことができた。
それは(ある意味当然ながら)音楽を通じてだった。「ベンもアリスも、
それぞれ祖父の音楽を聴くようになりました。ベンは『幸せな子供たちへ』が
きっかけとなりました。アリスの場合は、『ボニーとクライド』など
バルドーがらみの歌でした。末娘のジョーは『デカダンス』を4歳の時、訳もわからず
歌っていて、愉快でした。3人とも違った影響を受けているのが興味深いです」

息子のベンとの複雑な関係
ゲンズブール家の家族関係はなにかとややこしい。シャルロット・ゲンズブールと
イヴァン・アタルの長男ベン・アタルは今月、ポッドキャスト
「Tant Qu’il Aura des Hommes!」にゲスト出演し、過去には母との関係が
悪かったことを率直に語った。母のことは「なににも増して」愛しているものの、
昔は「とてもとげとげしい関係になり、いまでもそのことを話そうとすると声が
震えます」と動揺しながら語った。ベン・アタルがいまも癒えない心の傷を
子ども時代に負ったのはある出来事が影響している。シャルロットの異父姉
ケイト・バリーが亡くなったことで両親がニューヨークへ引っ越してしまったのだ。

2013年、ケイト・バリーが自宅アパートからの転落事故で命を落とし、シャルロットは
慌ただしくパリを去った。だがベン・アタルはこれに反発し、単身でイギリスのバース
へ向かった。そしてたった15歳で料理人として働き始めた。
「ちょっと乱暴な別れ方でした」とベンも言う。これで母親との仲はさらに悪くなった。
「なんでそうなったのかいまでもわかりませんが、何年も母が不在で、捨てられた
というコンプレックスがあったのかもしれません」と当時を振り返った。
学業も不振だった。当時「落ちこぼれ」と言われたベンは今日、「落ちこぼれになる
生徒は家庭に問題を抱えているんです」と言う。月日は流れ、ゲンズブール・アタル家
はいまや結束力の強い家族のように見える。

ポッドキャストの出演時にベン・アタルは祖母ジェーン・バーキンとの関係についても
語っている。俳優となった25歳のベンは子どもの頃、“ジェーンおばあちゃん”と会う機会
があまりなかったと言う。「最近会うようになったけれど、長いことずっと会話
していませんでした。今日、おばあちゃんは弱って、なんと言うか助けが必要なのです。
(中略)おばあちゃんのそばにいなくてはなりません」とコラムニストのジュリア・モルクーに語った。

ベンは父方の祖父母の方が身近な存在に感じてきたと言う。それは彼が生まれる前に
母方の祖父セルジュ・ゲンズブールが亡くなったことにも原因がある。
「母は、彼の死をとてもつらく感じていました。腫れ物に触るような感じで、
家ではラジオから歌が流れるとすぐにチャンネルを切り替えていました」

シャルロット・ゲンズブール、父との思い出を語る。
Culture 2021.03.15

49歳の女優シャルロット・ゲンズブールは、パリのヴェルヌイユ通りにある家族が所有する邸宅内にゲンズブール・ミュージアムを開設する準備を進めている。2月24日発売の「テレラマ」誌に、父セルジュ・ゲンズブールの「陰鬱な面」や、母ジェーン・バーキンとセルジュとの確執について明かした。

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シャルロット・ゲンズブールはインタビューで、彼女が若い頃に見た父セルジュ・ゲンズブールと母ジェーン・バーキンとの「派手な」喧嘩について回想した。(パリ、1973年11月30日) photo : Abaca

「悲劇」、「情愛」、「アルコール」…これらが混ぜ合わさった時、セルジュ・ゲンズブールとジェーン・バーキンの緊迫した関係は爆発した。

彼らの娘であるシャルロット・ゲンズブールは、パリのヴェルヌイユ通り(7区)の伝説的な父の自宅内にゲンズブール・ミュージアムを開設予定で、2月24日発売の「テレラマ」誌に、この型破りな両親についての話を披露している。

シャルロットは、当時父は憂愁に「ひたっていた」とその立場を擁護する。「父との悲しい思い出はないけれど、父が私に伝えてくれたものの中に陰鬱な面があったの。父は悲劇を好む傾向があった。情愛のね。彼の人間関係は決して穏やかなものではなかったわ」と語る。

彼女は両親の「派手な」いさかいを思い返す。「父は、母としょっちゅう目も当てられないような喧嘩をしていてたの。中にはかなりつらい思い出もあるし、母だって父に負けてはいなかった。2人が別れた後も父が私たちに会いに母の家を訪ねて来た時、お皿の投げ合いをしていたくらい。2人とも大酒飲みだったけれど、父は飲酒が原因で暴力をふるうことはなく、むしろ飲んだ時は優しかったわ」

「スキャンダルが及ばないように、私は守られていた」
歌手でもあるシャルロット・ゲンズブールは、1985年に発表された『レモン・インセスト』についても思い返す。当時13歳だった彼女がセルジュ・ゲンズブールの傍らで歌ってみせた楽曲であり、父と娘の愛の融合を描いている。

この楽曲のミュージックビデオは物議を醸した。上半身裸のセルジュが、シャツとショーツ姿のティーンエージャーのシャルロットと共に、ダブルベッドに横たわっていたからだ。

この点について彼女は自問する。「レコーディング前に父が歌詞を読ませてくれたのかしら? 当時どう感じていたのかしら? この時のこと覚えていなくて、後悔しているの。とにかくリラックスしていたわ」。彼女は続ける。「映画監督みたいに私に指示を出していた父と一緒に、突然マイクの前に立つなんて、どれほど濃密な体験だったか! 父は録音を聞き直して感激し、私の音程が少し外れていたから喜んでいたわ。そういうのを望んでいたから」

幼かった彼女は、その後どんな論議が巻き起きるか考えも及ばなかった。「それから寄宿舎に戻ったの。レコードが発売したらどうなるかなんて、全然わからなかった。スキャンダルが及ばないように、私は守られていたから。こんな楽曲が今の世に出たら、昔よりもっと世間を騒がせていたかしら。きっとそうなっていたでしょうね。またあの曲をレコーディングできていたかしら? おそらく父はやってのけたでしょうね。私自身もきっと。『レモン・インセスト』は、父から娘への純粋で無垢な愛の告白なの。むろん父は言葉とタブーで遊んでいたんだけれど、それが彼の強さだったんじゃない? もちろんこの世には有罪にすべきおぞましい行為は存在するけれど、一方で芸術の上での挑発は必要だと思うわ」

「全部まとめて遠ざけなきゃならなかった」
1991年3月2日に他界した父の死について尋ねられ、シャルロット・ゲンズブールは当時自分の気持ちと世間の気持ちの妥協点を見つけるのに苦慮したことを振り返る。「追い詰められたように感じて、熱狂の渦の中で自分の感情をコントロールできなかった。全部まとめて遠ざけなきゃならなかったの。誰とも分かち合える状態ではなかった」と打ち明ける。

以降、彼女は一線を引くようになった。「今なら父について私に語りたい人たちの気持ちや、彼らの父へのあふれる愛情を理解できる。けれど19歳だった当時は自分の苦悩しか見えなくて、侮辱されたと感じていた。『どうして父についての思い出を話すことで、私を傷つけていることがわからないの?』ってね」


texte : Chloé Friedmann 1 (madame.lefigaro.fr), traduction : Yuriko Yoshizawa

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