パワーストーンの真実。

舎人独言

健康&グルメに・・・ 翡翠 のパワー。

ラ・ボエーム 和訳

ネイサン・チェンのフィギュアで使われて急にアクセスが増えたけど
この曲、あのダンスにあってるかなぁ?.以前からつかっているから
慣れた曲なんでしょうね。歌詞が自分の人生の過去、愛おしくも狂おしい
青春を振り返るといったいかにもシャンソンらしい内容なんだけど・・・。
ま、格調の高い素敵な曲だからいいか^^

じゃあフィギュア関係者にジェン・フェラの「人生は美しい C’est beau la vie」  
をお薦めしておきましょう。このシャンソンの背景には死からの復活という
ドラマがあり、軽快でメロディアスで最後はグッと盛り上がる人生賛歌です。

シャンソンを代表する1曲を、と無理な選択を強いられたら・・・
舎人はアズナヴールのこの La Bohème ラ・ボエーム をあげると思います。
C’est là qu’on s’est connu について、この 知り合った を、愛し合った
と訳していますが、その理由は歌詞の翻訳の下で。

アトピーや乾燥肌など肌トラブルでかゆい方の約70%はかゆみが消えます。
ステロイドで効果がない方を含めてです。
で、魔法の水 とよく言われます。違います。
「宇宙」とか「人体」と同じように、現代の科学がまだ追いついていないだけ。
ヒスイウォーターは新しい技術として注目されている、太陽光と同じマイクロ波や
テラヘルツ波を生かした水。舎人が約20年も飲み続けている安全で美味しい品格の水です。。
かゆくて眠れない方のヒスイウォーターリポート

青雲舎(株)の翻訳を信じるなら翡翠マグも信じてくださいネ。
明治時代の人には電子レンジが信じられないようなものですが、
誰もディスっていないでショ?^^ ちょっとしたキセキなのです。
味わい・お茶・お酒・味噌汁などで試していらっしゃる方のヒスイウォーターリポート

  

  

アズナヴール Charles Aznavour  の代表曲って、
「帰り来ぬ青春」でしょうか? La Bohème ラ・ボエームでしょうか?
舎人のイチオシは「ラ・ボエーム」です。帰り来ぬ青春って
邦題が素晴らしすぎて実物大以上の魅力度になってるぅ。
歌詞の内容からしても、やっぱ、ラ・ボエームでしょう?

ボエームとはボヘミアンのこと。
流浪、さすらいのイメージがありますが、芸術家たちの
一見、根無し草のような生き方をボエームととらえたわけです。
もちろんプッチーニのオペラも下敷きのイメージになっていますね。
かつてはパリに隣接して、パリではないから酒税などが安かった村であり、
現在はモディリアニやピカソらの画家、アポリネールら詩人の息吹を慕うかの
ようにパリの一大観光地となっているMontmartre モンマルトル が舞台です。 
C’est là qu’on s’est connu  について、ほかの方たちとの
翻訳が違う理由、アズナヴールの名曲たちの動画も、どうぞ♪
では、全訳です。

君たちに語ろう 
20歳に満たない者にはわからない 
あの頃のモンマルトルを 
リラの花が垂れ下がっていた  
わたしたちの窓のすぐ下まで 
そして わたしたちがねぐらとした 
ひどく質素な家具付き部屋はみすぼらしかった 
そこなのだ わたしたちが初めて愛し合ったのは *1C’est là qu’on s’est connu,
空腹を抱えていたわたし 
ヌードのポーズを取っていた君  

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ラ・ボエーム ラ・ボエーム 
それは 幸せだったということ 
ラ・ボエーム ラ・ボエーム 
わたしたちが食べたのは  
2日に1度に過ぎなかったということ  

近くのカフェで  
わたしたちは大した者だった 
栄光の訪れを待ち構え 
極貧で空きっ腹を抱え 
信じることをやめたりはしなかった 
そして幾つかのビストロに出かけるとき 
旨くて熱い食事とひきかえに       *2
1枚のカンヴァスを持ち込んだのだ 
わたしたちは詩をそらんじ 
ストーヴの周りに集まり 
冬の寒さを忘れようとしていた  

ラ・ボエーム ラ・ボエーム 
それは 君が美しいということ 
ラ・ボエーム ラ・ボエーム 
わたしたちが皆、才能に溢れていたということ  

イーゼルの前で  
よく夜を明かした
デッサンに手を加えていたのだ 
胸の線の 腰の輪郭の 
わたしたちがようやく腰を下ろしたのは 
朝になっていた 
一杯のカフェ・クレームを前に 
疲れ果て 喜びに溢れて 
そうなのだ わたしたちは愛し合っていた 
そして 人生を愛していた  

ラ・ボエーム ラ・ボエーム 
それは 20歳ということ 
ラ・ボエーム ラ・ボエーム 
わたしたちが無一文だったということ  

ある日のこと  
かつて住んでいた場所へ 
立ち寄ることになった 
わたしの青春を見ていた壁も通りも 
もう見知らぬものだ 
階段を上ったところで わたしは 
アトリエを探した 
そこには何も残ってはいない 
新しい装いを施され 
モンマルトルは悲しげで 
リラは枯れていた  

ラ・ボエーム ラ・ボエーム 
わたしたちは若かった 狂おしかったのだ 
ラ・ボエーム ラ・ボエーム 
その街はもう 何も語ろうとはしない       *3

* C’est là qu’on s’est connu を
そこなのだ わたしたちが初めて愛し合ったのは
と訳しました。 
わたしたちはそこで知り合った といった翻訳が多く
初めて愛し合った という訳は2014年7月2日現在、
ネット上では舎人独言のほかに例がないようです。

フランス語には「知る」で savoir と connaître がありますが
前者は知識として、後者は体験的に知るということです。
聖書には フランス語で Adam connut Eve, sa femme; elle conçut,
なんて表現があって、英語では 
Adam knew Eve his wife, and she conceived  です。

この connut(フランス語)と knew は、知識としてイヴが存在することを
知ったわけではありませんよね? 単なる知識として知ったなら、後に続く、
その結果としての 懐妊した はあり得ないわけです^^
on s’est connu は、二人が特別な意味で互いに「知った」シーンでしょ?
後に恋の破局が名作「ミラボー橋」に描かれるのですが
詩人のアポリネールはピカソの個展へ出かけ、ピカソの紹介で画家ローランサンと
知り合ったと いう場合は、savoir でいいのですが。

それに そこで知りあった ということだと、
会ったとたんにいきなりかい! ってことになりかねない^^
誰かと一緒に男性の部屋を彼女が訪問して知りあった、という
ケースもあるかもですが、そんなこと、わざわざ歌詞にして意味がある?
次のシーンの 空腹を抱えていたわたし ヌードのポーズを取っていた君  
へのつながりを考えれば、やっぱ、特別な Adam knew Eve的な意味で
知ったということ^^

*2 旨くて熱い食事とひきかえに 
   1枚のカンヴァスを持ち込んだのだ 
たとえば、キャバレーのつけを払うかわりに店の看板を書いてと
頼まれたひとりにカラヴァッジョ(1571 – 1610年)がいる。
旅でパリを訪れ、浮かれて散財をしていたのかしらん?   

*3 Ça ne veut plus rien dire du tout
の Ça は、これは・それは という意味ですが、狭義ではつまりモンマルトルでしょう。
しかしモンマルトルとはっきり指摘することをなんとなく避けたい気持ちが
作者としては意識の片隅にあるのではないでしょうか?
自分が聴きとれなくなっている責任だってあるのですから。
それで、モンマルトルは・・・とは訳出しかねていたのですが
結局、折衷案として その街は としました。

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    舎人独言には
    ★エロスに変容するバラの寓意
    ★ノートルダム大聖堂の聖なる秘数
    ★オパキャマラドの風景
    ★映画「華麗なる賭け」チェスシーンのセクシーの秘密
    ★名盤「クリムゾン・キングの宮殿」の実在のモデル発見
    ★映画「男と女」サンバ・サラヴァの謎

    といった解読シリーズがあります。

スペイン語で歌っています。
映像の雰囲気がいいから。

シャルル・アズナヴールを抜きにしてシャンソンを語れるでしょうか?
そしてラ・ボエーム抜きに、シャンソンを語れるでしょうか?

プッチーニのオペラより先に、
こっちの La Bohème  を知って
中学2年の坊はすっかりシャンソンにはまりました。
右手にロック、左手にシャンソンという変てこな二刀流^^

貧困にあえいだモディリアーニやユトリロ、
モデルのキキらのイメージを
ある貧乏画家とその恋人の青春に重ねながら
Charles Aznavour にとっては幼少期を過ごした場所、
モンマルトル Montmartre への
懐旧の情もこめられているようです。
シャンソンというジャンルを超えて不朽の名作でしょう。
人が人であり、青春が青春である限り。

モンマルトルからモンパルナスへと居を変えたモディリアーニは
モンパルナスの貴公子であり華だった人気者だけど、皿洗いや配達のバイト
をするわけでもなく、絵一筋の赤貧生活。議論とケンカ、そして詩。
ポケットにいつもロートレアモンの詩集を入れていたと言います。
美への憧れなのか、本能のままなのか、女性との遍歴は絵に描いたように豊富^^
出逢いから二度目で好みのタイプの女性に「絵を見に来ないか?」と
顔を赤らめながら誘ったと、後に恋人となったイギリス人ジャーナリスト、
ベアトリス・ヘイスティングスは書いている。ベアトリスのお陰で
モディリアーニは作風を確立したけれど、酒と麻薬をけしかけたとも言われます。

モンパルナスでのお気に入りの居場所は十字路の角にあるカフェ Café de
la Rotonde ロトンド です。つけがかさんで催促されると、書いたものを
持ち込んで精算しました。それでロトンドには今も、モディリアーニがいっぱい
壁にかかっています。というわけで、モディリアーニって、このラ・ボエームの
モデルみたいにも見えるんですネ。

ボエームとは、ボヘミアンのこと。
ここでは画家を最も意識しているでしょうが
詩人などの文学を含めて
芸術に生きようとする者の生活の姿勢、そうした若者たち
と受け取っておきたい。
葛城ユキがヒットさせた「ボヘミアン 」がありますネ。

由紀さおりさんの流行歌でさえ、
アズナヴール流しながら♪ と歌われたほどです。
で、1曲聴いたら、もうだめ。1曲では終わりません。
素晴らしい曲、ありすぎなんです。
  

イザベルの翻訳は独立させ
別のページへ引っ越しました。
   
  
  
恋は一日のようにの翻訳は
独立し、別ページでご覧ください。
    
     

YOUTUBEで偶然に見つけました。
Nara Noïan の L’Amour c’est comme un jour
女性ならではの繊細さと、現代的な
恋愛の不可能性を感じさせる音。
名曲が時代に合わせて名曲として残っていくには
こうした感覚の刷新も豊かに
取り込んでいくことが必要だと思います。
敢えて挿入します。
  

 
RESTE 。邦題は「じっとこうして」。
なかなかカゲキなこのベッドタイムソングの翻訳は
別のページに移しました。


   
Mon Emouvant Amour  声のない恋
の翻訳は別のページでご覧ください。

ステージの最後に歌われるのが
Les bons moments です。
ぼくたちはいい時を過ごした
と、最後まで優雅な別れを語ります。
でも、適切な音源が見つかりませんでした。

Donne Tes Seize Ans

君の16歳を与えなさい   
それって、犯罪じゃない?
でも、いい歌です。

Et pourtant 思い出の瞳
シルヴィー・ヴァルタンに「アイドルを探せ」という
フレンチポップスの代表曲を贈ったアズナヴールですが
この歌は同名映画の挿入歌でした。

街角の瞳
なんか瞳シリーズでつけられちゃったタイトルでしょうか。
わたしは一人片隅で のほうが原意そのままですし
内容的にも相応しいようです。

しかし、ライヴでこれだけの完成度です。
演じるから、恥ずかしくはないのかも。
シャンソンはドラマです。

  

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