パワーストーンの真実。

舎人独言

健康&グルメに・・・ 翡翠 のパワー。

フリオ・イグレシアス 和訳

Me Quieres O Me Dejas(Devaneios)を翻訳しています。
20歳のころ、この歌の歌詞は大きな課題としてのしかかっていました。
この曲から連想されるフォーレの曲や漢詩なども紹介しています。

フォーレ:ピアノ五重奏曲1番 ジェルメーヌ・ティッサン=ヴァランタン、ORTF弦楽四重奏団

来生たかお   セカンド・ラブ

アトピーや乾燥肌、水虫など皮膚トラブルで痒(かゆ)い方の過半数は
実は痒みから解放されます。
ステロイドが効かない方を含めてです。
痒みが消えて副作用がなくてタダなら、文句ないんじゃない?

ヒスイウォーターは15年以上もコーヒーやお茶で飲んでいて安心な水です
なのに不思議な水なのですが、薬(メディシン)ではなく、ソリューション(解決策)のひとつです。
民間療法に過ぎませんが、論より証拠、モノはためしです。無料の「お試し」で効果をお確かめください。、
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玉(ぎょく)である弊社のヒスイのパワーに近いもので、皆様がなじみが深いのは
太陽の光や心臓が発生する電磁波(心電図が取れる理由}、電子レンジでしょう。

熱化学の常識としてはあり得ないことを書いていますが
試してみれば、副作用もなく簡単に体感していただけます。
全国紙の元記者としてのプライドがありますし、
実際にご体験いただけることしか書いていません。
ネット上でもネガティヴな報告はないようです。
ま、医療費の抑制にも貢献できますしネ^^

解決策は医学の常識の中にしかない
と思い込んでしまうのは結局、人類の驕(おご)りでしょう?
医学は人体の不思議をいったいどれほど解明できたでしょうか? 大自然の恵みの
玉である翡翠という解決策のひとつが、すぐそこに転がっているのですが。

脱ステロイドの番組放送に対し、学会など関連団体が抗議をするのは当然です。
ステロイドは薬品としてちゃんと社会に貢献しているのですから。
ただ舎人の嗅覚障害は治してくれなかったから完璧な薬ではないのも現実です(現在は嗅覚を恢復)。
抗議は正当ですが、治療してくれるけど治療結果はさっぱり、お金の無駄遣いばっかり
という患者の場合、こうした番組の放送内容でも、うなづいてしまうことにならないでしょうか?
患者の苦しみが一丁目一番地。批判とか抗議とか言葉なんかでなく、結果がすべてじゃない?
ここはまず、副作用がないままで痒みを消し去ったモノが勝ち!でしょう^^

恋の終わりとともに青春が終わったと感じさせる恋愛があります。
フリオのこの曲の男性もきっとそうではないでしょうか?
いつの間にかそんなにも自身を投入してしまっていた恋愛が
終わる時の無念で空しいな気持ち。フリオの3回連続翻訳のラストです。

心にひっかかっていた問題の歌詞はこうです。
No sé si es deseo, pasión, o locura
tantas cosas juntas, tantas amarguras.
わたしにはわからない もしかしてそれが欲望なのか 情熱なのか 狂気なのか
一緒にしたたくさんのこと 苦いものとなったたくさんのこと 

実は「欲望」というやつを自分が持っていることを受け入れられませんでした。
肉体はどうしようもなく異性を求めている。けれど、そうなった自分が疎(うと)ましい。
そんな風にさせる欲望が嫌でしょうがない。
紅楼夢の主人公、宝玉は10歳にならないうちに
「女兒是水作的骨肉,男人是泥作的骨」
女の子の体(骨と肉)は水でできていて、男(の骨)は泥でできている
と喝破(かっぱ)?しちゃいましたが、子供であっても
生来の感性のありようとしてわかるところがあったのでしょう。
欲望があるから、男の体は泥でできてるとは、なんか納得しちゃいます。
(女性に欲望がある。。。ことは今もどこかピンと来ていません)

六角堂にこもった親鸞が観音さまから「我成玉女身被犯(われ玉女の身となりて犯せられん」
と聞いたのと同じくらいに女性を求めながら、でもその女性(の肉体)を避けたい。
どちらも正直な自分です。自分が分裂してしまっています。自分の切ない大きな願いなのに
それをもう一人の自分がうっとうしそうに眺めている。自己分裂どころじゃない。
自分自身によって自分自身が疎外されているのです。
子供の時だって、スカートめくりなど思いつきもしなかった。
で、大学の同級生の女子たちからは「人畜無害」なんて言われたり・・・^^:
(どういたしまして。無害じゃないよ。要するに性的なことは管理されているべき、
普段は普通にふるまうだけというのが、当たり前な素朴な気持ちです。
ま、今現在は単なるスケベーなオヤジであることも、認めるしかありません。
イヤだけどさ。願我心如智慧火)

小椋佳が詞を書き、井上陽水が音楽をつけた「白い一日」という曲があります。
ちょっと長い引用をお許し願って・・・。「真っ白な陶磁器を 眺めてはあきもせず
かといってふれもせず そんな風に君のまわりで 僕の一日が過ぎてゆく」
という想い方なのです。真っ白できれいな雪景色は、そのまま眺めていたい。
踏み荒らすなんてもってのほかです。草食系などという言葉はまだ登場していませんでしたし
第一、草食系なんかじゃないもの。

さかのぼればアダムとイヴが知恵の実のリンゴを、蛇にそそのかされて食べて以来
これは宿命なのかも。知を得て二人は裸体が恥ずかしいことと知り、楽園を追われて以来、
自身の努力で衣食住をまかなわなければいけなくなりました。
そして知がある以上、恋愛は犬や猫並みの本能そのままを離れて、
愛の絶対性(浮気はイヤでしょ?)、恋愛の絶対の美を求めていくようになるのも当然です。
その果てに、好きな人と性愛をともにしたいという本能への疑問が生じ、
「クレーヴの奥方」などを経て「狭き門」へたどりつくのはひとつの当然の帰結ではないでしょうか?

気が付けば、フランソワーズ・アルディも自己疎外と思える
シャンソンを歌っていて、それは踏み込んでいえば恋愛の不可能性が
発動している証左なのか、と後年、わかるようになってきました。
あるいはジェーン・バーキンが「手切れ」で歌ったように
vent mauvais 無慙(むざん)な風 に吹かれていたのかもしれません。

さらにあるいは、当時の自分にはわかるはずもなかったけれど
ペソア(1888-1935)が言うように「生きること、それは他人であることだ」
という状態だったのかもしれません。
だから「狭き門」のアリサの苦しさは、自分のものとしてとても理解できる気がします。

そしてK-POPといった大衆的な流行の音楽でさえ。たとえば
2NE1の Lonely だって、そんな要素が含まれています。
自分以外にも、こうした感覚は少しずつ人類全体が感じていくのではないでしょうか

19世紀の Love の時代、20世紀の Sex の時代を経て、21世紀は
性のスペクトラムでの揺らぎ(単体化、中性化、多様化など)の時代なのでしょうか? 
コモドドラゴンはメスだけで卵から子供が生まれて世界を驚かしたし、
ヒトのオスの遺伝子なんか、きょうあすにもなくなって不思議ではないと、
性の揺(ゆ)らぎは今や学問的に正しい理解とされるようになっています。
日本では若い人が「恋愛はメンドくさい」と変化してきています。

(メンドウなんて言葉じゃなくて、ちゃんと自分の気持ちの動きを説明できないとネ。
それがどう表現したらわかんないし、そんなこと考えるのも面倒だから「メンドくさい」・・・・。
これじゃいい恋愛、西洋型の恋愛なんてできるわけない。
あれはロジックで組み立てていく建築物のようなものだから。)
そういえば、女性を見たら口説かなきゃと、自他ともに認められてきたイタリアで
若い男性がナンパをしなくなってきているそうです。
やっぱりオスは衰弱してきています。すくなくとも30年前のままじゃない。

自分がモテるなんて思ったことないけど、好きになってくれたらしい?女性がいて
突然目の前に現れて、一緒にどこかに行きませんか、と言われました。新入部員の勧誘で
入ると言ってくれたのが初めての出会い。それからすれ違うことも話すこともないままの2年半のちのことでした。
あと半年で、こちらは卒業。正直、4年間で見かけた女子学生のうちで、キャンパスで一番の美人さんです。
嘘みたいだけど、韓国の女優チェ・ジョンユンを、クリームっぽい色白からピュアホワイト系に変え
そこにオードリー・ヘプバーンの小顔と可愛らしさを足したといった感じ・・・。
(チェ・ジュンヨンはアイドルグループ Eagle Five のメンバーだったユン・テジュン
(当時はE-Landグループ副会長の長男)と2011年に結婚。5年後には長女に恵まれて
「清潭洞の嫁」などと言われましたが、一方でワンオペ育児の苦しみも報道されていました。
10年後の2021年で離婚手続きを進めているわけで、ドラマ「アモール・ファティ」
そのままみたいな・・・)

だから、 ぼくなんかでいいの?なんで? と、言葉にならない驚きとためらいがありました。
(初めて会った時、すごい知的美人さんだと思いました。化粧っけはなく、服装は地味でした。
美人だから気になるのか?好きになるのか?なんて声が自分の心の中から聞こえたりして)
とにかく、そんなわけで、じゃあ勇気というか、そんなモードに気持ちを整え、ドライヴして
ある池へと、ボートに乗りに行きました。(女性の扱いになれていないから
発想が情けないほど類型化していましたネ。)
ショパンの話になった時、わたしがバラードの1番が好きだ言うと、あなたはワルツが好きといい
自分の指がどうしてこんな風に動くのか不思議に思えるなどと話してくれました。

人畜無害と呼ばれるようなヤツですから、女性とのデートはこの時が人生で初めてのこと。
なんとか気の利いたことを言おうと、自分の心の中は自分自身でアップアップでした。
二年半前の最初の時もそうでしたが、会話で彼女が目を合わせてくれず、アイコンタクトが取れません。
ボートに乗っているときに尋ねるべきだったと今さら後悔しているのですが
帰りの車内で 次はいつ? と尋ねても
なにか要領が得ない感じではっきりと言ってくれません。で、あ、やっぱり、
自分ではダメだったんだと思ったわけです。
ダメだったと潔く認めるしかないと思っていた。その受傷があるから、まさか自分がひょっとしたら
フッていた可能性など思わず、ヒガイシャのように思うことができた。しかし潔さとはプライドでしかなかった。
結局、自分ファーストの俗物なのだ。今。だから、こうして罰を受けている。

しか高校の教科書に三好達治と中原中也の詩が載っていて、先生がどちらが好きかと尋ねました。
クラスの大多数は中也でした。詩人としての才能は認めるけど、中也は作品の裏に
ヒギャーと突然喚き声をあげている、甘ったれな自意識が潜んでいそうです。
自分が自分がって、自分がいっぱいなんですね。だからウザい。
その点、三好達治は周囲の風景を読みながら自分の感性を詩に仕立てています。
三好達治の方が人間としても詩人としても格上です。中也の価値を否定するわけではないけれど。

それはともかく、自分の話に戻ると、それでなくたって欲望を持っている自分がウザくて、
ほかの男子みたいにフツーに積極的に出られない。そもそも自滅しているくせに、勝手?に落ち込んで、
電話して、どうしてイエスって言ってくれなかったの?なんて確認することなんか思いつきゃしない・・・。
でも今思ったら、ひょっとしたら、彼女こそこちらから電話がないことで傷ついていたのかもしれない
・・・なんて可能性に思い至ったのは、つい最近のこと。迂闊(うかつ)なバカ、思いやりに欠けた間抜けです。
男としての自信なんて今だってないけど、それにしても、わたしは一体、なんということをしたのか?!
そもそもエントリーするべき資格のない欠格人間だったのだ。本当に申し訳ない。

実際、どうだったのかな? 今なら、押し強く彼女の意向を確認するだろうけど。メールとかいろいろあるし。
(押し強く、なんて単語を知ったときは、その反対の自分の気持ちを表現できる言葉だと思いました)
行き違いをうまく処理するなんて、そんなことできっこないほどに不器用で
自分で自分を持て余していた。自分だけでいっぱいいっぱいで、勝手に自滅してばかり。

ともかく、そんな出来事以前から、この歌のフリオの、「欲望なのか情熱なのか狂気なのか」が
自分自身の中のヘンテコな心の動きは、ほかの人にもあり得るものとして、重大な問題だったのです。
好きなのは間違いなく女性なんだけど、普通の健全な男子とは違って「予(あらかじ)め失われている」
感覚が自分の気持ちのかなりな部分を覆っていました。
そんな自分があの時、もし傷つけていたのだったら、本当に申し訳なかった。
心から謝りたい。そして無意味に失われた苦しい時だったのなら、ただただ悲しい。
そして二人はアンドロギュノスの球体のベターハーフにはなれなかったけれど、ほんの少しは
量子もつれのような縁があったと信じたい。願っていたい。

明の時代の高啓の詩に「送呂卿」という一編があります。
漢詩のことですから、男の世界で、友人を送る詩です。
遠汀斜日思悠悠
花払離觴柳払舟
江北江南芳草遍
送君併得送春愁

最後の行の「送君併得送春愁(君を送り あわせて得たり 春愁を送るを」
という詩句を、荒川太郎という方が「岸辺に手をば振りしとき 君と春とをともに送りし」
と訳しました。
勝手に女性との別れにシチュエーションを変えちゃいますが、岸辺に立って手を振ったとき
君を送るだけではない わたしの青春も一緒に見送ったのだ、なんて感じます。
フリオの O Me Quieres O Me Dejas という歌は、ちょうどそんな風に感じさせるのです。

白居易の「少府無妻春寂寞 少府に妻なくして春は寂寞たれど(少府とは官職で自分のこと)」や
誰の作だったか「春の光のただ秋に似たり」という詩句も忘れられません。
言葉にすれば、そんなことですが、その春の光のただ秋に似たりという世界は
まさにフォーレのピアノ五重奏曲1番じゃないかな?と感じるのです。
ほら、ちょっと見では穏やかな陽光を薄く染めるように、無慙な風に散った桜の花びらが
今もひらひらと舞っています。

そうやって別れ、青春が終わったのでしょう。
惜春(せきしゅん)・・・。

では全訳です♪

君はぼくを愛すのか 立ち去るのか
それとも ぼくは君のことを忘れ去るべきなのか
こんな風に君といるより 
終わりにしたほうがいい

ぼくが君を愛してるってこと 君は知ってる
けれど火が噴き出ることはないし
ゲームは ぼくには合わない
君の気まぐれや君の考え方につきあうことも

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翡翠マグ・ヒスイウォーターの効果は・・・
 <グルメ>
●緑茶や紅茶などがまろやかになり、長く置いていても苦くなりにくい
●出汁を取る水として使うと、味わいがまろやかになる
●野菜のあく抜きでは、短時間で、素材の味わいが生きたあく抜きになる  
●種類・銘柄によって効果がないことがあるが、お酒がまろやかになり、悪酔いしにくくなる
●糠漬けに翡翠マグを入れると、味わいがまろやかになるetc.
●トロンとした口当たりのやわらかな水になる〈弱アルカリ性に変化)
(「ご愛用者の感想」を参考にご覧ください)

 <ヘルシー>「民間療法」に過ぎませんし、翡翠マグ・ヒスイウォーターは薬では全くありません
       なぜなら、薬としては翡翠マグが対応できる範囲が広すぎます。むしろ
       身体トラブルでの1つのソリューション(解決策)であり、人助けツールと          
       弊社では捉えています。現状では、現代医学で治療方法がない以下の
       症状に改善例が報告されています。
☆アトピー、乾燥肌、水虫、股間の痒みなど皮膚トラブルを改善・解消(シミには効果がないようです)
☆ばね指(腱)の痛みのもととなるドーム状の盛り上がりが消滅
☆風邪ウィルスで失われた嗅覚の改善・快復
☆瘢痕拘縮(はんこんこうしゅく)で痛みを緩和・解消
(上記の症状でお困りの方は無料のヒスイウォーターをお試しください。改善しなかったら申し訳ありません)
(薬を服用する時の水には向いていません。薬効を丸めてしまう場合があります。薬を飲むときは3時間は間を置いてください)

言ってくれ 本当のことを 君がぼくといて何を感じていたか
もしかして君と恋仲だったのか 友達だったのか
ぼくは確かめたいんだ 何が残っているのか
いつも君に与えていた素敵なことのすべての中で

言ってくれ もしかして君は嘘をついていたのか
君がぼくを抱きしめるときに
そして君は体を与えていたのか ぼくを欺いた後で 
なぜって君の気まぐれで ぼくは嫉妬で死ぬほどだったから
もうぼくは興味がない 君の熱中ぶりには

一度ならず ぼくは後悔する
また別のときは ぼくは泣き暮らす
君のあいまいな気分と君の考え方に

ぼくはひとりの哀れなバカにすぎない
そしていつだって君を信じていた
君はぼくを取ることもなく 立ち去ることもない
そうやって ぼくははいられない 幸せでなんか

ぼくは知りたいんだ 何がぼくに起きたか
ぼくは君を忘れようとし それでもそれができないでいる
ぼくにはわからない もしかしてそれが欲望なのか
情熱なのか 狂気なのか
一緒にしたたくさんのこと 苦いものとなったたくさんのこと 

でも君に請け合おう その日が来たことを
君がぼくを棄てるのか ただぼくだけのものになるのかという
心に決めたんだ 君のゲームは終わりだ
もうぼくは興味がない 君の熱中ぶりには

無断転載はご容赦ください。リンクはフリーです。

ビデオクリップ

来生たかお   セカンド・ラブ

お前は欲望が利己的で醜悪で、時に獣欲とさえなることを知っている。
イージーゴーイングな青春など避けたかった気持ちもわかる。
中二の時、お前はリルケを読んで「内部空間(インネンラウム)」という言葉を知った。
それからだ。お前の精神は肉体より重くなった。

お前は本能ではあるとしても、欲望があるから性愛が生じるのだと知っている。
そしてわかっている。舎人独言の中で見てきたように、性愛はときに美しく、
むしろ感動的ですらあるではないか?
である以上、そんなに欲望を敵視してばかりではいけなかった。
それもまた、安易にすぎるとしてずっと避けていた極論でしかないのだ。
取り返しのつかない今となってわかる。
本能のままでもいけないが、その本能を上手に表へ出してやることが、
自分と相手を大切にすることであり、優しさ・愛情(la tendresse)であり、
自然なことなのだ。
しかしお前は過去にこだわり、悲しい歌ばかり大切に胸に抱えていた。

当時のお前にも言い分はある。
大学生の時にイギリス映画「午後の曳航(The Sailor Who Fell from Grace with the Sea )」
を観て、satisfaction of a flesh を求めて、サラ・マイルズ演じる女性主人公が不倫へと
奔るのを苦々しく思った。肉体とは警戒の対象であり、欲望は敵といった感じ方だ。
また、当時はまだ知らなかったが、素質として Éluard エリュアールの詩が自分のものとなっていた。
Rouge amoureuse
Pour prendre part à ton plaisir
Je me colore de douleur.
恋愛の赤
お前の快楽の一部を獲得するために
わたしはわたし自身を苦痛で彩る。

そのとおり、お前は苦痛をなんでもないことのように受け取っていた。
いま思えば、若さゆえの傲慢、何も知らず、自分を知らず、何も怖くなかったのだろう。
イエスと言ってもらえなかったんだから、しょうがない.
感傷も感情も交えず、潔く諦めるだけと思い込んでいた。

お前はコルトレーンの「I want bo be a saint わたしは聖者になりたい」という
言葉に共感し、自分の肉体が透明になればいいと思っていた。

先にボートに乗って手を差し出したとき、これは名分がある。
男がしなけりゃいけないことと平気で手を差し出せた。
かえって一瞬、あなたがギクッとしていた。
抽象的な想いの対象がいきなり具体化して肉体して現れたら、確かにとまどうこともあるでしょう。
しかし、むしろわたしの方が、生身の肉体を持つ女性が現れていることに現実感がとぼしかった。
喜んで迎え入れるべきなのに、その心のというか、肉体の準備ができていなかった。

なぜって、高嶺(たかね)の花であるべき美しい女性は、高嶺のままいてほしいような感覚なのだ。
はっきり書いてしまおう。
そんな淡い関係の延長にあるかもしれないことを、お前は避けたかったのだろう。
無意識にそうだったと言うべきか、むしろ神様が目隠しをしたのか。
意識にのぼることはなかったけれど、あなたがそんなことをするなんて、思いたくなかった。
女性にすれば、男の身勝手で、迷惑この上ないのかもしれないけれど。

その美しさに比例して、ヴァージンの守護神である月の女神アルテミスに仕える
永遠の巫女を、わたしの無意識は思い描いていたのかもしれない。
性のありようからして、まだ世界に対してイエスと言えなかったのだ。
いしだあゆみがのぼってくる階段のきしみに寅さんが寝たふりをして、肉欲と正面から
向き合うことから逃げたように、お前は逃げていたのだ。
要するに、お前は男として、まだ大人になんかなっていなかった。
(今なら、半分くらいは大人になっただろうか?)

寅さん映画の中で、国境を超える恋の逃避行をしてのけた女優岡田岡田嘉子が
宇野重吉演じる日本画の大家に向って後悔について語っていた。「2つの後悔がある。
してしまったことの後悔としなかったことの後悔と」といったセリフだ。
(岡田嘉子にこれを言わせるのだから山田監督ったら^^
研究によれば、しなかった後悔の方が、してしまった後悔よりもずっと大きいそうです)

いま、お前は、そのしなかった後悔を噛みしめている。
「セカンド・ラブ」の素直な恋心をバカにせず、従ってみればよかったのだ。
そして自身が安逸に堕さないようにウォッチし、自身と相手の明確な同意を経て
手探りで少しずつ接近すべきだった。
(そのくらい、言わなくてもわからなきゃダメ、というのは実は女性の甘えであり、自分の
コミュニケーション能力の低さの責任を相手に押し付けているだけ。こと恋愛に関しては、
理屈っぽさ世界一ではないかというフランスの女性ですが、自分の感情・感覚の言語化に慣れることが
自我の確立につながり、それが自立心となって恋愛の時のカッコよさにつながっています。
あんなカッコいい恋愛をしたけりゃ自己表現の根本レベルから日本人女性は見直すべきでしょう、
そうでなけりゃ女性の自立なんて一人前のこと、言う資格なんかないゾと思います。)

リルケが書いたように、お前は「ひとつのバラはすべてのバラ」と信じ
すべての女性を代表するひとりの女性を求めていた。しかしわざわざ険しい道を選び、
無惨な風に青春を吹きさらす必要など、ありはしなかった。
辛い想いの日々など送るべきでも、送らせるべきでもなかったのだ。

詩人萩原朔太郎の死に接して、三好達治は悼(とう)詩を捧げ、最後にこう結びました。
「師よ
 誰があなたの孤獨を嘆くか」
Mさん、あなたこそわたしの孤独を知ってくれるべき人だった。

このページに登場した音楽の動画も入れておきます。

小椋佳    白い一日

Françoise Hardy    Message Personnel (舎人独言で翻訳しています)

Jane BIRKIN    Je Suis Venu Te Dire Que Je M’En Vais(手切れ。翻訳がアップされています)

2NE1   LONELY

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