ジュ・トゥ・ヴ 和訳 サティ ジムノペディ あなたが欲しい 意味 ドゥミ・モンド
ワルツはワルツでもウィンナーじゃなくてフランスのワルツ。ナポレオン3世の第二帝政
から尾を引きずるフランス社会の享楽ぶりは、こんなワルツに乗っていたんだろうなぁ。
マリー・アントワネットのブルボン朝からナポレオンⅢ世の第二帝政まで、フランスの
歴史にざっと触れています。
チ・ヒョンジャン
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(以下のヒスイウォーターは、水道水を翡翠マグに入れて10日程以上の時間を経過させたもの)
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余り痛くなくなるまで点鼻したらケロッと収まります。鼻の中がスッキリとします。
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7割ほどの方が痒みが消えます(直接塗らずに飲み続けると徐々に効果がある場合もあります)
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☆ウィルスが原因で喪失した嗅覚の改善・恢復
☆瘢痕拘縮(はんこんこうしゅくで痛みを緩和・解消
☆筋肉痛・筋肉疲労の緩和・解消、ストレッチ運動の代わりにヒスイウォーターを塗布
(上記の症状でお困りの方は無料のヒスイウォーターをお試しください。改善しなかったら申し訳ありません)
(薬を服用する時の水には向いていません。薬効を丸めてしまう場合があります。
薬を飲むときは3時間は間を置いてください)
<衣類>☆白カビ退治。皮革製品なら瞬殺。シワシワも元通りになります、
綿製品などは繊維の中まで入り込んでいるのでしばらくつけ置きし、簡単に揉み洗い。
<グルメ>
●緑茶や紅茶などがまろやかになり、長く置いていても苦くなりにくい
●出汁を取る水として使うと、味わいがまろやかになる
●ゴボウほか野菜のあく抜きでは、短時間で、素材の味わいが生きたあく抜きになる
●種類・銘柄によって効果がないことがあるが、お酒がまろやかになり、悪酔いしにくくなる
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●トロンとした口当たりのやわらかな水になる〈弱アルカリ性に変化)
(参考として「ご愛用者の感想」をご覧ください)
Satie サティの Je te veux ジュ・トゥ・ヴ の日本語訳です。
サティは、自らがピアノ伴奏を務める Paulette Darty ポーレット・ダルティ のために
作曲しました。ダルティはスローワルツの女王 La Reine des Valses lentes と呼ばれました。
意味深でエロティックな歌詞は Henry Pacory アンリ・パコリによります。
ピアノ伴奏ヴァージョンは1903年に書かれたとされる一方、
1897年にはすでに書かれていたとする説もあります。
女性が男性を口説いていますよ♪ ビミョーでしょ?
どんな関係なのか、ちょっと解読を試みましょう。
(2014年12月5日現在、フランス社会のシステムに触れて
解読を試みた例は、ネット上ではないようです)
それとジムノペディが何を意味するか・・・サティが勤めたキャバレ
シャ・ノワール については、一番下です^^
まず、歌詞の全訳です。
時代の雰囲気を心掛けています。
普通の現代語訳は、ちょっと下、4つめの動画の下にあります。
お悩みは承(うけたまわ)りました 愛しいお方
そこで お望みのものを差し上げましょう
わたくしのこと あなた様の愛人になさりなさいな
慎みからは遠い わたくしたち
悲しみからはなおさら遠くってよ
わたくし 熱望いたしますの
そこで わたくしたちが幸せに過ごす高貴な瞬間を
わたくし あなた様が欲しくってよ
★舎人独言にどんな音楽がある?を探す
ミュージックリスト(目次.クリックできます)はこちら。
後悔はありませんわ
そして わたくしの望みはただひとつ
あなた様のそばで すぐおそばで
人生のすべてを生きること
つまり わたくしの身体とはあなた様の身体
あなた様の唇とはわたくしの唇
あなた様の心はわたくしの心
つまり わたくしの肉体のすべては
あなた様のものってことよ
お悩みは承(うけたまわ)りました 愛しいお方
そこで お望みのものを差し上げましょう
わたくしのこと あなた様の愛人になさりなさいな
慎みからは遠い わたくしたち
悲しみからはなおさら遠くってよ
わたくし 熱望いたしますの
そこで、わたくしたちが幸せに過ごす高貴な瞬間を
わたくし あなた様が欲しくってよ
そうよ あなた様の瞳に見るの 神々しいお約束を
あなた様の恋する心が わたくしの愛撫を求めてやってくるのよ
とこしえに睦(むつ)み合い 同じ炎に身を灼(や)き
恋の夢の中
わたくしたち 二つの魂を交換いたしましょう
お悩みは承(うけたまわ)りました 愛しいお方
そこで お望みのものを差し上げましょう
わたくしのこと あなた様の愛人になさりなさいな
慎みからは遠い わたくしたち
悲しみからはなおさら遠くってよ
わたくし 熱望いたしますの
そこで、わたくしたちが幸せに過ごす高貴な瞬間を
わたくし あなた様が欲しくってよ
無断転載はご容赦ください。リンクはフリーです。
25の動画で紹介するウェディングソング隠れた名曲集はここから
舎人独言には
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★名盤「クリムゾン・キングの宮殿」の実在のモデル発見
★映画「男と女」サンバ・サラヴァの謎
といった解読シリーズがあります。
この余裕。
あなた様とか、人生のすべてをおそばで生きるとか
上手に持ち上げて男性の自尊心を満たします。
カッコつけてクールな振りをする若者なんて
手もなく舞い上がっちゃいます。
もの柔らかなくせに執拗な上から目線。
若い男性を手のひらで転がして、楽しんでいるのネ。
で、それが結局、二人の幸せだからいいじゃないって
道徳的な良心のとがとか、肉体への畏れなんてもう関係ないわけです。
そこを読み切る男なら・・・この女性、きっとあとで泣きの涙でしょう。
第二帝政からロマン主義の花開いた19世紀から20世紀初頭のサロンって
こんな女性がいっぱいだったのかな?
現代の20代の男女の出逢いのシーンとしては
気持ちはともかく、こんなあからさまはまず、あり得ない。
この歌が生まれたのは1903年のパリ。
華やかだけど、なにやら言うに言われぬ
おかしな空気が、この一組の男女の間にあるような。
(第二帝政は1852年から1870年。普仏戦争でプロイセン軍に敗れるまで続いた)
決定的なフレーズは
Et je cède à tes vœux
Fais de moi ta maîtresse です。
直訳するなら
そしてわたしは あなたの願いに与える
わたしを君の maîtresse にしなさい
maîtresse って、なんでしょ?
家庭の女主人、先生という意味がありますが
愛人 でもあります。
英語なら mistress です。翻訳するとき、どうしても
この2行の影響が、ほかの歌詞に及んでしまいます。
試しに、できるだけ現代の感覚で翻訳してみましょう。
理解しました 君の悩みは 愛しい人
だから わたしは君にあげる 君の望むものを
わたしのこと 君の愛人にしたらいい
わたしたちは慎みから遠く
悲しみからはなおさら遠い
わたしは熱望する
そこで わたしたちが幸せに過ごす高貴な瞬間を
わたし あなたが欲しい
わたしに後悔はありません
そして わたしの願いとはただ一つ
あなたのそばに そう あなたのすぐそばで
わたしの生涯を生きること
つまり わたしの身体はあなたの身体
君の唇はわたしの唇
君の心は私の心
つまり わたしの肉体のすべては
君のものなのです
理解しました 君の悩みは 愛しい人
だから わたしは君にあげる 君の望むものを
わたしのこと 君の愛人にしたらいい
わたしたちは慎みから遠く
悲しみからはなおさら遠い
わたしは熱望する
そこで わたしたちが幸せに過ごす高貴な瞬間を
わたし あなたが欲しい
そう 君の瞳に、わたしは見る 神々しい約束を
君の恋する心が わたしの愛撫を求めてやって来るという
永遠に睦(むつ)み合い 同じ炎に身を灼(や)き
恋の夢の中
わたしたちは 二つの魂を交換するのです
理解しました 君の悩みは 愛しい人
だから わたしは君にあげる 君の望むものを
わたしのこと 君の愛人にしたらいい
わたしたちは慎みから遠く
悲しみからはなおさら遠い
わたしは熱望する
そこで わたしたちが幸せに過ごす高貴な瞬間を
わたし あなたが欲しい
余分と思われる雰囲気を落とそうとしても
どうしてもあの2行に引っ張られて、
現代との感覚のズレが残ってしまいます。
わたしをあげよう とか
あなたの愛人にしなさい とか!
こんな言葉を交わすなんて、いったいどういう
男女関係なのでしょう?
20世紀初頭ですから国王がいる時代ではありませんが
ナポレオンⅢ世の帝政からまだ30年ほどしか時間は流れていません。
貴族社会はそれなりに残っています。もちろん、今だってネ。
貴族ではない庶民も、たとえ現実に身の周りにはなくても、
貴族社会の生活様式は、まだまだ十分に理解できます。
いまでも世が世ならフランス国王なんて自分で言っている、オルレアン公
の血筋だっているようです。(現実では、貴族の出自をうまく利用して商業的に
成功している血筋もいますが、経済的には困窮しているケースも多いようです。
ちなみに中世フランスではカロリング朝が断絶し、縁戚のユーグ・カペーが国王
に推戴されます。オーストリアのハプスブルク家同様、最初は諸侯の都合で、大きな勢力
でない仲間が選ばれるわけです。)
カペー朝の成立は987年で、以来、ヴァロワ朝、その従兄弟の筋のブルボン、オルレアンと
王朝が続きます。みんなカペー朝の分家筋です。フランス革命の後、ルイ16世の弟、
太っちょのシャルル10世が曲折を経てなんとか王政を敷きましたが、大反動政治のせいで
イギリスに亡命してブルボン朝は消滅。後を襲ったのがオルレアン公ルイ・フィリップ3世。
オルレアン公の血統はブルボン家の分家で、大変な勢力を背景に王位を狙い、フランス革命の
際には。バスチーユ襲撃をひそかに扇動したり、ルイ16世の処刑に賛成票を投じるなどした。
王政には当然のように限界があるけど、ほんと、権力奪取のためならなんだってするのかね?)
さて、そこで思い出されるのが、すでに紹介した
ウィーンを舞台にしたリヒャルト・シュトラウスのオペラ
「ばらの騎士」(初演は1911年、ジュ・トゥ・ヴの3年後)です。
あの元帥夫人とオクタヴィアンの関係って
二人が初めて出逢ったとき、こんな感じがあったのかも。
12世紀の南フランスで、やんごとなき貴婦人らが開いた
恋愛法廷 Les cours d’amour で、恋愛は子供を生んでから
というケツロンが出ています。
そうしたところから、やがて貴婦人への憧れを賛美する
ロマンが広がって現代に至るわけですが、それはともかく、
上流社会の若い女性はどんな年寄りとでも結婚して
その家の血筋の継承に貢献する・・・が社会のルールでした。
オペレッタ「メリー・ウィドウ」も随分、年上の男性に嫁いだ女性が
国庫を左右するほどの大富豪の寡婦(ウィドウ)になってからの
あれやこれやを描いていますね。
逆に言えば、子供、特に男子を生んでしまえば
それで一応はお役御免です。あとはもう、建前はともかく
本音の部分では、うまくおやりなさい、というハンケツだったわけ。
だから貴婦人が若い男性を近づけるのは、暗黙の了解みたいな
社会システム?となったわけです。
たとえばルイ15世治下の貴族社会のありようを描いたとされる
フラゴナールの「ぶらんこ」(Les Hasards heureux de l’escarpolette)。
若い男性がブランコに乗る貴婦人のスカートをのぞき見しています。
その花咲き誇る貴婦人は靴をとばして、つまり逸脱を楽しんでいて
性的な奔放さを大胆に宣言しています。
そしてロープをひっぱって、むしろそのブランコ(性的行為の暗喩との説)を
あおっている年老いた夫・・・。まさに三角関係ですネ。
そして愛人の男性の上方には恋愛の矢を放つキューピッドがいて
唇に指を当て、語るなかれ、秘するべし と告げているかのようです。
確かに、公言してしまっては、どうしようもないスキャンダル。訴訟だってあり得ます。
建前は建前としてちゃんと建てておくのがフランス社会なんですね。
で、ミッテランが歌手のダリダと密会しようと
オランドが大統領府(エリゼ宮)へ女性を連れ込もうと、
風刺漫画のネタを提供しちゃう程度のことで、不倫なんてものには
日本では考えられないほどに寛大。つまり、人間だもの・・・てわけ。
(カトリック国のフランスやイタリアは寛大すぎ、プロテスタント色が強い
アメリカではこうしたスキャンダルは政治家の命取りとなります)
日本のマスコミとか、社会全体も、自分たちは不倫だらけ、欲望まみれなのに
他人とか公職者とかケチをつけられそうな相手には、浅ましく食いついたり
しますが、他人のことなどほっとけ・・・て、仕事かもしれないけど
そんなもの、仕事になんかするなよ、そんなゲスな人間やってていいのか?
あ、韓国ではネロナムプルなんて言葉がありますね。わたし(ネ)がするなら
ロ(ロマンス)で、他人(ナム)がするならそれは不倫(不=プル)なんだってサ!
そんなわけで。この Je te veux ジュ・トゥ・ヴ って
若い悩みがいっぱいな男子の中から、
お眼鏡にかなった若者を選んでいる・・・
そんなシーンに思えるんですね。
現代社会でありがちな欲望まみれの誘惑なんかじゃない。
美魔女のエロスを秘めた思惑とイケメン男子の性的衝動との
華やかで、実は身もふたもない取り決め、取り引き。
以前、恋愛で男性が守るべき3つの「 S 」
つまり sabio solo segreto
男は賢く振舞い、ひとりで行動し、秘密を守る
という3つの S を紹介しましたが
Brantôme ブラントーム が書いた
その著書の名前が
Les vies des dames galantes でした。
艶婦伝 なんてタイトルで、高3の時、受験勉強で図書館へ行って
な~に、そんな本とか取りだして読んでたわけで^^
しかし。まさに、そんな艶なる貴婦人ってイメージもわきますね。
・・・と思ったのですが。
もうひとつ、さらに有力な
いかにもありそうな想定がありましたぁ・・・^^
イギリスの上流社会になくて
フランスにはあったもの。
それが Demi-monde 裏社交界です。
半分の世界ということで、男性専科の社会です。
18世紀から20世紀初期にかけて、ことに第二帝政からベル・エポック
にかけて、富豪や支配階級の快楽追求的なライフスタイルに
つかず離れず登場する女性たちは
Demi-mondaine ドゥミ・モンデーヌと呼ばれ
Liane de Pougy らの付け焼刃ですが、セレブ美女が婀娜(あだ)な
名前を残しています。
後にはさらに特化してしまい、王侯貴族、富豪を相手とする高級娼婦
la courtisane クルティザンヌ や、元はカワイ子ちゃんといった語感の
Cocotte ココット を指すこともあったようです。
江戸時代の吉原の花魁(おいらん)や島原の太夫(たゆう)では
ありませんが、la courtisane も深い教養と審美眼を身につけ
単なる性的魅力だけでない付加価値を心掛けていたようです。
寄ってくる男性が一流なら、女性の側のおもてなしも
一流である必要があるわけですから。
いくらでも下品になり得る性を、知性まで動員してでも
社会的動物である男性が夢見る世界に仕立てるわけですから、
女性の努力は大変です。
最初の想定は年上の美魔女がリードしましたが
こちらの第二の想定は、反対に男性の嗜好が最後にモノを言う世界。
ま、ありていに言えば、実態は高級娼婦との援助交際。
その世界は、あのオペラ「椿姫(ラ・トラヴィアータ)」で有名ですね。
椿とはまったく関係ない、道をはずした女という意味ですが。
モデルとなった女性がいます。
Marie Duplessis マリー・デュプレシス (1824 – 1847)。
本名は Alphonsine Rose Plessisですが、後に貴族の生まれである
ことを示す du を付け加えて名乗っています。
余りに短い生涯の最後に、結婚により
Comtesse de Perrégaux ペレゴー伯爵夫人 となっていますが
23歳の若さで肺を患って亡くなっています。
なにが真実なのか諸説があるようですが
それほどに複雑で苦労した生い立ちだったのでしょう。
哀れです。生まれる時代が違っていたなら
バリバリの会社役員やセレブの奥様にだって
なっていたかもしれません。
それはともかく。
クルティザンヌが、自分も夢みることができる
若い男性とおつきあいを始めようとする
まさにそんなお誘いをするシーンを描いた歌。
そんな風にも取れませんでしょうか?
華やかだけど、ちょっと寂しさもあって。
高級娼婦はココットとも言われるけれど、貴族やセレブ、大富豪
をパトロンにして時代を闊歩した様子は、コレットが描いた小説
「シェリ」とかゾラの「ナナ」でもよくうかがわれます。
気になる方は、どうぞ、ご一読を。
ま、ですが所詮、最後の最後に求められるのは、おなじことでしょう。
快楽主義的なライフスタイルの行きつくところは
つまりはホンネの部分でのおつきあいというわけで
かたぎの女性には縁のない(はずの)、やっぱり男性専科の社会。
で、あんまりお金がかかるので、一流紳士のたしなみくらいに思って
関係を続けた男性たちも、破産にまで及ぶこともあって、次第に
こうした女性は姿を消していきましたが。
つまりあんなもののパトロンになると、身ぐるみはがされて終わり。
当の彼女からすらバカにされる始末となるのですが。
「ナナ」の中に「怒っている時以外に彼女の心を占めているのは、常に活発な
浪費欲と、金を出してくれる男に対する生まれながらの軽蔑と、情夫の金を湯水の
ように使って破産させることを誇りとする、飽くなき搾取家の絶え間ない気紛れ
であった」なんて描写されています。お金をあげると実は軽蔑されるわけなのよ。
男ってホント、バカだもんねぇ^^:
それはともかく、エリゼ宮にある Hôtel de la Païva は元はココットのために
patronが建てたそうです。ね、もはやカワい子ちゃんレベルじゃないでしょ!^^
この あなたが欲しい は
Erik Satieの歌曲集「ワルツと喫茶店の音楽」に
収められていました。
実は当時、サティがピアノで歌伴を務めていた
シャンソン歌手 ポーレット・ダルティ Paulette Darty
のために作曲したものです。
作詞は アンリ・パコーリHenry Pacory。
ポーレットは 魅惑のワルツ Fascination で知られていますね。
オードリー・ヘプバーンの 昼下がりの情事 で
魅惑のワルツ が使われています。
しかし ’Love in the Afternoon’ からの
この邦題って、ちょっと時代がかっています。
ただ内容的には、正しい翻訳だと思いますけど。
オードリー演じるアドルフならぬアリアンヌは
本当はおぼこいのに
精一杯背伸びして情事に精通しているかのように
振る舞います。
最後の汽車のシーンでも、そんな強がりと嘘を並べ立てます。
ブリュッセルの銀行家が・・・とか言いながら
恋人はいっぱいいるって、強がりながら走って別れを惜しむのです。
なんか、泣いちゃうんですよ、このシーン。
嘘を並べ立てるほどに、アリアンヌの純真が輝きます。
うまいですね。
この一途さを信じて、稀代のプレイボーイが
結婚を決意して汽車の中へ抱き込むんですね。
女性への不信があって、でも肉体的要求と
生活の彩りから女性の間を漂っていただけの
稀代のプレイボーイが、その愛を
信じるに足る女性に出会ったのです。
三度目に見たら、断然、評価が変わっちゃいました。
さすが、オードリー・ヘプバーンです。
そのラストシーンのセリフの翻訳ほか、詳しくは
魅惑のワルツ Fascination のページで。
さて、解読の果ての結論です。いえ、結論めいた推察ですが。
曲者(くせもの)のサティが、演奏の難易度はともかく
こんなに素直で綺麗な、聴きやすい曲を、どうして書いたのか?
彼の時代より少し前の時代、フランスでありふれてもいた
男女の情景を音楽で切り取ったサティです。
タイトルはその情景そのままに、あなたが欲しい です。
それを、現代(サティの時代の現代です)に
ノスタルジーと物語性まで盛り込んで提示してみせるのは
それはサティらしい諧謔(かいぎゃく)ではないでしょうか?
美しいメロディで砂糖をかぶっていますが、ごまかされちゃいますか?
この曲の存在自体が違和感でしょう? 感じませんか? という
サティの主張であり、問いかけのように思えます。
・・・なのですが、サティから既に100年近く。
たとえサティにその諧謔の意図があったとしても、今となっては
時の流れに雲散霧消しています。フランス人にはノスタルジックな
魅力的なワルツがかつての甘美な世界の残り香を振りまくばかりなのでしょう。
さてサティと言えば ジムノペディ Gymnopédie です。
彼が21歳での作品。
Je te veux よりも、こちらの方がいいな。
で、お勧めなのが パスカル・ロジェ Pascal Rogé です。
とがったところのない、おだやかでまろやかな眠りのような
時間が流れていきます。
ジムノペディの意味としては、古代ギリシャの
最強軍事都市スパルタで年に1回、太陽神アポロン神らにささげた
祭りのようです。
そこでは、若い戦士たちが裸となり、頭によろいだけの姿で
運動能力や戦闘技術を誇示したそうです。
健康にして屈強な男子たちが奉納する戦争の踊りって
なにか厳粛な気がします。
しかし幼くして親元を離れて集団生活をし
理由もなく奴隷を殺すことを男らしさと思っているような
残虐な一面もあったのですが。
で、サティはこの踊りを描いたツボをみて
ジムノペディの曲想を得たといいますが・・・。
音楽などろくに聴いちゃいない酔客相手の音楽。ショパンとか、
思いのたけを語り尽くすような音楽など似合いません。
不即不離(即かずず離れず)がちょうどいい距離感でしょう。
まさにBGMとしてピッタリです。
時代が、そんなことになった人間社会が送り出した音楽なんですね。
調べてみたら、こんなエピソードもあります。
ジムノペディの作曲が始まる3か月前のことです。
サティは1887年12月、仕事を得ようとしたのでしょうか
今もブドウ畑が残るパリ郊外の村、モンマルトルにある
Cabaret キャバレー黒猫(Chat Noir シャ・ノワール)を訪れ
手厳しい批評を繰り出すと言われる支配人から
「どんな仕事をしている?」と訊(き)かれたそうです。
で、はぐらかそうとしてサティが答えたのが
「ジムノペディスタです」。
Gymnos は naked 裸
Paedo は child 子供
ist は 練習・運動をする人
ということで、直訳すれば
練習中の裸の子供
と答えたことになります。
あなたの前では駆け出しの手も足も出ない子供ですよ
と表面上は、そんな受け応えですよね?
でも意訳すると、自由きままで とか
しがらみとか約束なしで といった
意味合いだったようで
なるほど、自由気まま とは
当時のモンマルトルそのままの雰囲気で
サティは見事に切り返したものです♪
(黒猫は魔女の化身として殺処分の対象となった歴史があり
既成のそうした良識???に逆らうかのような
サブカルチャーの拠点がシャ・ノワールだったわけです)
キャバレ 黒猫 は、常連だったロートレックの
宣伝ポスターが有名ですね。
最初、モンマルトルのロシュシュアール大通りで開店し
まもなく引っ越し、さらに1907年に現在地へ引っ越したそうです。
天井には山高帽に丸メガネ、鼻の下とあごにちょびヒゲという
自らカリカチュアしたサティの自画像とサインが残されています。
個人的には写真家、 MAN RAY と PAUL ELUARD のサインが気になります。
横には マン・レイ(要するに光線男ネ)が撮影した
詩人 エリュアールの妻、ニュッシュのヌードを
そのまま映したような線描があって
les mains libres 解放された手 と書き添えられています。
斜め下から撮影されたような線描の顔は確かに
斜め上の太陽を仰いでいて、両腕は軽く開かれているようです。
自由となった手 束縛を強いられず、強いもしない手。
エリュアールの世界ですね♪