別れて生きるときも 上 柴田翔 贈る言葉
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柴田翔という作家がいます。
代表作は「されどわれらが日々」でしょうが
この「贈る言葉」も、少し理屈っぽいけれど
初めての性体験を持つことになる恋愛を描いて
印象深いものがあります。
「だって、女なんて、みんな、それを待つために、生れてきたようなもんだものね」
ある脇役の女性の言葉として描かれています。
この作品の中で、男性主人公は
「いつも思いが自分の心の中へ深く戻って行く他はない人間の持つ、
あの一種沈んだ視線」を持つと思われる女性と出逢い、
恋愛と呼んでいいような関係となります。
「君も、ぼくが何故いけないのかと問えば、それ以上、言葉で逆らおうとせず、
ただ、前にも増して激しい接吻と抱擁で応えるだけだった。
だが、君は、ぼくが最後にもう一度、では、いいね、と問うと、
必ず、頭を横に振った。ぼくの手が伸びると、身体を堅くして、
応じようとはしなかった。そして、ぼくは、如何なる方法によっても、
君の覚めた意識が自覚している以外のことを、君から得ようとはするまいと
決心していた」
この人とでなければいけない結びつき。自覚的なsex。快楽という
わけのわからないものに流されてはいけない。自身の性を、
自身で選び取ることを課すこと。
それこそ、犬や猫の発情とは違う、人間の性であるべきだ。
恋愛や欲望にあっても、明晰であろうと努力すること。
君こそ、ぼくと同じように明晰であろうとしてほしい。
それだからこそ、君でなければいけないのだから。
それが、君とぼくという、ひとつの関係の証明なのだから。
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獲得した医学の常識の中にしか解決策がない
と考えるのも実は人類の驕(おご)りでしょう。
医学はいったいどれほど人体の不思議を解明したでしょうか?
翡翠という大自然の恵みの中に解決策のひとつが転がっています。
現代ほどのフリーセックスの時代ではありません。
世代が違うと言ってしまえば、それはそうです。
ですが、それでは大切なものを見落とします。
問題は、人間としての在り方、です。
それが、恋愛や eros の場に於いて、端的と言ってよいほどに
表出されてしまうから
恋愛論は人間理解に有効なのだと、思っています。
けれども、なんと無惨なことでしょう。
これほどに意識的に選んだ性によってすら
特に、女性は傷ついてしまいます。
「私が、始めて人を想ったのは、中学二年の時、相手は一級上の男の子だったの。
私、本当に、一度優しく笑いかけてもらうためになら、死んでもいいと思ったわ。
その人は、そんな私になんか気づかないで、さっさと卒業してしまった。
私は、とても悲しかったけれども、でも、こんなに人を想えるなんて、
女の子であるってことは、何て素晴しいことなんだろうと、
何の苦味も混えずに、自然に思うことができたわ—-」
この一方の主人公である女子学生は、あれほどこだわって、
慎重に選ぼうとしたのに、性によってつまずき、
再び、このように人を想うことはできないことでしょう。
そんな言葉が歌詞にある
ヒナマリア・イダルゴの 別れの歌 です。
邦訳は そちらのページで。
やがて会わなくなって翌年の十一月。
一度だけ、男は、女子学生とすれ違い、衝撃を受けます。
「ぼくの心を抉ったのはそんなことではなくて、君の姿に見えた、
ある崩壊の印象だった。例えば、そうした化粧を含めて、
君のすべてに浮き出していた何か内的な不安定さ、
君の中で何かが無慙に崩れてしまっているという印象」
(抉った えぐった、例えば たとえば、無慙 むざん)
お前が加害者なのだ、と男に向かって言うのは簡単ですが、それでは
二人が、いや、男が、なのかもしれないけれど、
欲望においても明晰(めいせき)であろうとしたことが
分かっていないのではないでしょうか。
明晰であるとは、イコールの関係、自由で、
どちらに上下があるわけでなく
支配でも被支配でもなかったはず。
そうあろうと、努めたはずだったのですから。
もちろん、男の側に当座の傷が少ない分、
(実際は、永続的な致命傷を負うようです。生きながら死んでいるような致命傷)
すまないことをした、という気持ちはあるでしょう。
その気持ちが、また、傲慢(ごうまん)であると知るから、
言葉には出せないけれども。
女子学生は見合いをし、ニューヨークへ先に赴任した商社員と結婚します。
深読みをすれば・・・。
再び出逢うことは可能かもしれない、
それを時にまかせてみよう、
あれ程に自覚的に選び取ろうとして無慙なら、
自覚など介在しない時間の流れに任せてもいいかもしれない、
そんな風に男は想い、待っていたかもしれない。
でも、相手の結婚が決まり、いよいよ別れが間違いないものと知れれば
どんな言葉を、どんな想いを寄せることができるのか。
「元気でしあわせに」などと、わけしり顔で、
そんな言葉が口をついて出るわけはない。
そうやって、手紙なり、電話で告げたとして、
なんと傲慢な言葉であることか。
「贈る言葉」とは、
別れて生きることを選んだ者へ、
再び生まれ、もう一度出逢いなおしても同じように生きてしまうだろう
どうしようもない青春を分かち合った者同士であったと確認し、
心の中で告げる 感謝と悔しみ、痛み なのでしょう。
そうそう、訊ねられたことがありますが
小説「贈る言葉」は、金八先生の歌よりも
先に誕生しています。
「パクリじゃん」は筋違いですね。
疑問ならむしろ、武田さんのほうが。。。^^