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  • 【No.000210】玉=翡翠 真偽の見分け方 うんちく編

    2012-02-01 03:09:48 - 名前:舎人 さん

    「乾隆帝の幻玉」(劉一達著)の中で、玉(ぎょく=翡翠は緑系の玉)が本物であるかの判別法について、以下の記述があります。
    「(略)もし本当に旧玉なら、それは温かく湿り気があって、重みがあります。また、光沢があり、内に含みをもつ何かがあります。もし美石であれば、その生地は乾いてぱさついており、もろい感じがします。妙にぴかぴかしていて、上っ面だけの感じがするのです。でもよほどの目利きでないと、騙されてしまいます。宋代の政和、宣和年間に、玉職人たちの何人かが、新玉でさまざまな器を作り、虹光草(野草の一種で、虹色に光る)の汁に漬け、さらに生の竹を燃やした火で燻しました。すると、その色は玉の紋様となり、色つやの染み透った、鶏の血のように赤いものに仕上がったのです。この虹光草とは、西寧(シーニン)の山の中で採れ、それほどお金を払わずに入手できます。愛好家の眼は、この種の玉にしばしば惑わされます。古玉だと間違えてしまうのです。
     李さんはこの一対の玉碗を漢代の出土品だとおっしゃる。そういった見方は、素人だけが言えるものです。玉が土の中にあった場合、五百年で生地が脆くなり、浸透を受けます。千年を超えると石膏のような性質になり、二千年経つと脆い骨のようになるのです。三千年で石灰のように崩れ、もし六千年の間この世に現れなかったなら、泥のように腐乱してしまいます。夏、商(殷)、周の三代以前の旧玉だったなら、すでに朽ち果て、生地も脆く柔らかくなっているため、爪で掻き落とすことができます。秦漢時代の旧玉であれば、まだ玉の性質を残していますが、生地はやはり朽ちて柔らかくなっています。現在、巷で目にすることができる最も古い旧玉は、唐や宋の時代のものです。外からの浸透を受けるので、本来の色は失われていますが、質はすべて保たれ、硬さも元のままです。さらに言うなら、この漢の玉碗は、様式も拙い。完全に素人が作ったものですよ」。
                略
    チャーリーは陸仲実のこの大弁舌を聞いて、戸惑いで呆けたようになった。頭を何度か横に振ると、無邪気な子供のように尋ねる。「陸の旦那の言う通りだとすれば、漢代の玉はもう残っていない、ということですか」。
    陸は言った。「そうとも限りません。中国の玉職人の盤功(ばんこう)というものについて、李さんはご存じないかもしれませんね」。
    チャーリーは首を振った。「盤功だって? 知りません。ノー、ノー、知りませんね」。
    陸仲実は言った。「仮に漢の玉が出土しても、その生地はすでに脆く柔らかくなっています。もしそれを元に戻そうと思えば、盤功を用いるしかありません。最初は、ただ手で軽くさすったり、身体につけて隠しておいて、人の身体の「気」でもってこれを養います。一年か二年経つと、玉の「気」が蘇ります。玉職人はこれを「蝋肉骨(注:蝋は原文では月偏。ラーロウグー、塩漬け干し肉の骨)と呼びます。さらに一、二年身につけておくと、玉はやや明るさ取り戻し、「蝋肉皮(ラーロウピー、塩漬け干し肉の皮)と呼ばれるものになります。十年、二十年身につければ、玉の性質が自然と外に出てきて、だんだんと硬くなります。さらに首にかけておけば、色がだんだんと全体に広がって、その色を回復します。その形状は宝石と似たものです。こういった盤功を経て、元の様子を保った漢の玉は実に貴重なものです、世にも稀な宝だと言えるでしょう」。
    そう言いながら、陸仲実は腰帯からある玉のかけらを解き、チャーリーに渡した。「これこそが本物の宝玉です。三、四千年の歴史を持っています」。
    チャーリーがふと見ると、その玉は明るく透き通っていて、純な輝きを放っている。少しの染みも瑕もない。
    陸仲実はいった。「この玉こそが、盤功によって脱胎した古い玉器です。では、脱胎とは何なのでしょうか。玉器は土の中に三、四千年の間埋まっていると、石灰のように朽ち果てます。出土した後に、人の気によってこれを養い、復元させると、石としての性質すべて失われ、精華だけが残ります。まるで人が俗世の殻を脱ぎ去って仙人になるようなものですね。この玉は元の玉としての性質をだいぶ前に失った後、人体のもつ陰と陽の二つの気の「盤功」によって、その精華だけを残して、宝玉となったのです。玉器というものは、色つやも質も、集まったかと思えば散っていくという具合で、変化極まりないため、予測がつきません。素人は、その外見は知っていても、なぜそうなるのかまではわからないのです」。
    金の旦那は陸仲実の優れた解説を聞いて心から感服した。その要点から推して、宗がなぜいつも乾隆の玉碗を懐に入れているのかに、合点がいく。なんと、あの「すずめ」も「盤功」のことを知っていて、あの玉碗を気で養っていたのだ。
    チャーリーは手に持っているその玉のかけらを手放すのが惜しくなった。
    「陸の旦那、この玉片を売ってくれませんか」、チャーリーは肝っ玉を大きくして言った。
    「李さんに売って差し上げる? はっはっ。あなたに出せる値段でありますまい」。陸仲実は笑い始めた。その笑いはその場に十分ふさわしいものだった。
    「おっしゃってください。いくら欲しいですか」。チャーリーの青い目は今にも飛び出しそうだ。
    「ニューヨークの街一つで、どうでしょう。支払えますかな」、陸仲実は笑ったまま答えた。
    舎人の実感として、確かに玉=翡翠の色は、しっとりとして温かみがあると感じます。また特に翡翠のレメディ(パワーを転写した水)をつくる時、水に与える変化の増減によって、玉は生きているかのような印象を受けることがあります。そんな点は陸仲実の言と共通するところもあります。
    ですが、中国的な大げさな修飾というか、話にもったいをつけるためか、大ボラを吹いてもいると思います。なぜって、五百年で石としての翡翠の生地が脆くなるとか、六千年で泥のように腐乱してしまうだなんて一体、誰が確認できたのでしょう?筆者の劉氏はなにかの古書を読んで、そのような薀蓄を得ていたのかもしれません。ですが、では、その古書を書いた人は、どうやって事実として検証できたのでしょうか?六千年も生きて、玉の変化を観察できる人なんて、いるはずがありません。
    中国で投資ブームとなっている玉=翡翠ですが、
    翡翠業界の中で踊らされているだけの人も多いはずです。
    何が真実のウンチクで、何が嘘の蘊蓄か? 
    うんちくは時に、まったくの作り話です。それに、上記のように、視覚にはだまされがちということも注意すべきです。
    科学的に裏付けられたこと、自分の五感で効果を確かたことだけを翡翠の基本として受け入れることが、なぜ玉=翡翠が7000年近い伝統文化にまでなったかを理解する第一歩でしょう。
    可能性を秘める不思議な石ですが、真実を極めるために、それだけ科学的かつ合理的なアプローチが必要ではないでしょうか?

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