831 意味 この素晴らしき世界 和訳 I love youの日 ルイ・アームストロング

世界の永遠の名曲に日本語訳をつけて応援しています。
魔法? 失われた古代の 不思議 が復活です! 笑顔がはじけていますネ。
2つ目のマグカップの動画です。(弊社PR)

「この素晴らしき世界」 What a wonderful world
の日本語訳です。 

 I see trees of green という冒頭は
 I see green trees ではないんです。
I see green trees なら、 わたしは見る 緑の木々を です。
ところが、 trees of green です。
緑とは、木々の属性を表現している言葉ですが、同格を示す of  があることによって
緑である木々を見るという、木々と緑が同じ重みを持つ表現となっています。
人生の最期に、世界は愛おしさに溢れ、その本質にある美しさが、歌手に迫ってきているのです。
そのほかに「薔薇ノ木ニ 薔薇ノ花咲ク ナニゴトノ不思議ナケレド」など
共通する感覚について書いています。

わたしは見る    
樹々が緑であることを 
紅いバラも    
咲き誇っている わたしと君のために   
そして わたし自身に向かってこう思う    
世界はなんと驚きに満ちていることか  


 
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ガリレオを支持できましたか? 翡翠マグは?
今まで見たこともない翡翠の プチ不思議 は23秒から。
皮膚トラブルで貢献できるケースだってあります(この行をクリック)
翻訳と同じく ありのままを誠実に です^^

        
わたしは見る  
空が青くあることを  
雲が白くあることを  
昼は祝福されて輝き  
夜が聖なる闇であることを  
そして わたし自身に向かってこう思う  
世界はなんと驚きに満ちていることか    

虹の色なんだ 空にあって素敵じゃないか  
行き交う人々の顔の上にも現れている 
わたしは見る 朋友らを 
手を握りながら はじめまして と挨拶を交わすのを 
かれらは実は I love you と言っているんだ   

私は耳にする  赤ん坊が泣くのを 
育っていくのを眺める 
彼らは わたしが知る以上のことを学ぶのだ  
そして わたし自身に向かってこう思う 
世界はなんと驚きに満ちていることか  

そうなのだ わたし自身に向かって思う 
世界はなんと素晴らしいことか 
おお そうなのだ  

不思議な翡翠マグ と I love youの日(8月31日) の
青雲舎(株)が日本語への置き換えに挑戦しています。
それは歌の世界を可能な限り正確に理解するための行為です。
無断転載はご容赦ください。リンクはフリーです。

friends が握手をして「はじめまして」と
あいさつしている   という箇所があります。
ちゃんとあいさつして、正面から向かい合う。
ほかの人も、自分も、結局それが一番です。
その気持ちが I love you の基本精神でしょう。

なにもハグしてくれって言ってるんじゃない
握手さえしてくれるなら

サッチモは確か、シナトラかクロスビーだったかの応対に
そんな意義を申し立てたことがあるはずです。

wonderful が使われていますが、beautiful ではいけないのでしょうか?
ワンダフルとは、不思議と驚きに満ちているということ。
だから、この言葉を作詞家は選びました。
では、どんな不思議と驚きがあるのでしょう?

「はじめまして」と言って握手すること。
それが実は、I love you なんだと
この歌は描いています。
I love youの日(8月31日)には
家族、友人、恋人、隣人らで
思いやりと優しさを持ち寄りたいですネ。 

エロス(恋愛)ばかりが I love you じゃありません。
フィリア(隣人愛)だって、ストルゲー(家族愛)だって
I love you なのですから。

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What a wonderful world  とは
サッチモこと
Louis Armstrong ルイ・アームストロングの遺書でしょう。
亡くなる4年前に発表されています。
シナトラの「マイ・ウェイ」
美空ひばりの「川の流れのように」
舎人独言で紹介しているジャン・ギャバンの
「わたしは知っている(俺の人生)」と
同じ位置づけかと思います。

実はトニー・ベネットを想定して書かれた楽曲ですが
よくぞ断ってくれました、結局
神様はサッチモの許へ送り届けたかったのでしょう。
トニー・ベネットは素晴らしい歌手ですが
この一見、単純な歌詞の奥深さを
理解することも、察知することもできなかったのかもしれません。
彼にとってはアンラッキーで残念なことです。
あの The good life という人生を知る者ならではの
名曲を歌っているのですが(舎人独言で翻訳をしています)。

サッチモ Satchmo とは、Satchel-mouth つまり
カバンの口ってことです^^
以前はガマグチって言われていましたね。つまり
ガマガエルの口という意味の財布を意味するガマグチ。

それでも後日、レコーディングしているのですが
素晴らしいものを見抜くって、言葉では簡単ですが
本当に見識が備わっていないとできないことです。
(翡翠マグに使われている翡翠の素晴らしさも、ネ。)

ヴェトナム戦争を描いた「グッドモーニング ヴィエトナム」
という映画に使われました。
若くて命を満たすことがないまま散るかもしれない戦場で
この満ち足りた歌は、あまりに対照的で
なんとも悲しい気持ちを覚えてしまうのです。

ホンダやソニーなど
たびたびCMに使われてきました。
今またソフトバンク 桃太郎 で使われていますね。
日本のアーティストのカヴァーもいっぱいです。
日本人のテイストに合っているということでしょう。

What a wonderful world  のような精神で歌われています。
日本語訳は シャンソン 名曲 人生は美しい  のページで。

樹々が緑ということ
バラが赤いということ。
なんの不思議もありません。
ですが、死を意識した者の目に
その姿かたちは、なんと鮮やかに映ることでしょう。

たとえば、戦国時代、武家では
鎧具足(よろい・ぐそく)を身につけおわり
いよいよ出陣となる前に、花を生けるという
立華を行った場合があった、と言います。
死地であるいは・・・という覚悟の目に
単なる儀式ではないでしょう。
その花は、生命は、どれほど鮮やかに、そして
どれほどいとおしく目に映ったことでしょうか。

北原白秋は「薔薇二曲」と題して
こんな風に書いています。


薔薇ノ花
ナニゴトノ不思議ナケレド
照リ極マレド木ヨリコボルル
光リコボルル

いかがでしょうか?
通底するものがあるのではないでしょうか?
薔薇が紅く咲いていることに、なんの不思議もありませんが。
こうなると、子供たちがいかにも子供っぽく遊んでいるのを
見るだけで、愛(いとお)しくて目がうるんでしまったりします。
「東京物語」(小津安二郎監督)の何気ないシーンで
意気地がないことに、つい涙ぐんだりします。
まことに、なんと聖なる映画であることか。

しかし、ルイ・アームストロングの歌声が感じさせる、
この感動はいったい何なのでしょう?

ひとつには、やはり、ルイ・アームストロングが
ある程度以上の人間的完成を果たし
こんなにも「満ち足りた」心境をうかがわせてくれるからでしょう。
そして、もうひとつは、この名曲が、その心境によって
美(うつく)しくて美(かな)しく、愛おしくて愛(かな)しい
素晴らしいパフォーマンスとなっていることではないでしょうか?

知足(ちそく)という言葉があります。
足(た)るを知る という意味です。
見るべきほどのことは見つ (平知盛) のような
死を直前にした、
ネガティヴな側面を持つ言葉ではありません。
きっと、
ああ、これが人生なんだ
これが人生の素晴らしさなんだ
生きるとは、こういうことなんだ
こうやって生きていればいいんだ
自分の人生とは、こういうことだったのだ
と知ることに至った、ある満ち足りた思い。

ジョン・レノンがヨーコ・オノによって
Oh my love for the first time in my life,
My eyes are wide open
と書いたように、死を意識しないままの日常の中でも
大きく目を見開く心境に至ったのでしょう。
パウロに起きた奇蹟のように
目からうろこが落ちたのですね。

すでに紹介していますが
1つのバラはすべてのバラ と、詩人、リルケは書きました。
リルケは 内部空間 インネンラウム という言葉で
バラなど事物の本質のあり方を捉えているようです。

ルイ・アームストロングもジョン・レノンも
内部空間が、あるがままの姿かたちから、溢(あふ)れ出し
こぼれているのを見ることができたのでしょう。
そして、そんな目で世界を見回してみると
What a wonderful world であることを再発見するのです。
wonder 驚き が、 full 満ち足りて いると。 

たとえばピカソが描く線の1本が
とてもオーラを放って感じられたりします。
1本の線であることは紛れもない事実ですが
それ以上の何かが、あるようです。

富士山に関するテレビ番組を見ていました。
日本画家、奥村土牛(とぎゅう)の
101歳での絶筆が富士山を描いたものです。
が、完成したスケッチを前に、筆が進みません。
そこで、床の間に横山大観の書が掛けられます。
「天霊地気」
土牛の目が見開かれます。

富士山くらいに大きく、素晴らしい姿を見せるようになると
人間にとってもパワーが見やすくなるでしょう.
富士山を見ているというより
富士山に見られている、見守られているといった感覚。
そんな富士山には、地気も、天霊も漂わす
と言っていいほどの玄妙が生まれているのでしょう。
墨は宇宙を抱く色だそうですが
土牛は天地に満ちる霊気を
墨に託したのです。

ただ富士山は比較的わかりやすい例ですが
本来、モノには、どんなに小さな花、石などであっても
それ自体にパワー、それ自体の固有の気が
あるような感覚を覚えます。
そんな気は、人が感じられるように大きくなると
気配と呼ぶことができるのでしょうが。
ほら、誰かに見られている「気」がして
振り返ったこと、ないでしょうか?

たとえば石は、何も語ろうとしませんが、
問いかけ方さえ知っていれば
力まず、へりくだしもせず、ありのままの姿を見せることで
ありのままでいたらいい、
答えはお前の中にある、などと答えてくれそうな。

以前にも書いていますが
明るい時間と暗い時間に従って暮らしが成り立っていた
目覚まし時計などなかった平安時代の話です。

まだ暗いうちに目が覚めた貴族が
出仕時間を気にして「今は何時ごろか?」と、たずねます。
隣に寝ていた女性は傍らの琵琶を手に取り
ジャラ~ンと鳴らして余韻に耳を傾けます。
そうやって確かめた上で時間を答えると
貴族は「そうか」と言って、また眠りに就いたと言います。
つまり、そうやって時間を計ることが常識で、ごく当たり前の風景です。

琵琶の余韻の響き方が、夜の時間帯によって違うのを、
女性は聞き分けていたわけです。
地の気が、夜に満ちているからではないでしょうか?

そこまでの感覚は失いましたが
現代の日本人も、琵琶の音に
何か深いものを感じているようです。
地の気に感応していることに、不思議な感覚を覚えるのでしょう。

興於詩 立於禮 成於樂
詩経(論語)の中の言葉です。
詩に於(お)いて興り、 礼に於いて立ち 楽に於いて成る
ですが、詩人の大岡信は
「詩に於いて興り 楽に於いて成る」と紹介しました。
詩によってインスパイアされ、音楽において完成する 
ほどの意味でしょうか。
音楽はそれほどに、人間的完成を表すことがあるということです。
「この素晴らしき世界」でのルイ・アームストロングは
人間としての、そんな完成の境地みたいなものを見せてくれるのでは
ないでしょうか?

たとえば同じくジャズの歴史に大きな足跡を残した
巨人、ジョン・コルトレーン John Coltrain は
次に何をしたいか? と問われたとき
聖者になりたい I wanna be a saint ( I want to become a saint)
と答えました。 物事をありのままに観ることができる。できるようになる。
それは聖者の在り方のひとつと思えます。

人は恐らく皆、欲望を無視しては生きられないのかもしれません。
俗世ではどうしても渇愛(かつあい)にまみれがちです。
I wanna be a saint という慈愛に至るのは、簡単ではありません。

ルイ・アームストロングは黒人として差別と戦い、
少しずつ白人と同等の扱いを勝ち取ってきた人です。
舎人も好きな、ある白人有名歌手からの差別に対して、確か
何も抱いてくれて言っているわけじゃない、握手でいいのだ
と訴えていたことがあったと記憶します。
まさに、そのルイ・アームストロングの言葉です。
それだけに深い思いを感じます。

friends が握手するのを見ている という箇所があります。
誰の友だちか、書いてはありません。
人間と人間とは、ラッキー・イヴにさかのぼるまでもなく
そして第九で合唱するまでもなく
本来は兄弟でしょう。見知らぬ者同士も、本来は友人でしょう。
なのに、はじめから差別があり、偏見があり、軽蔑があったりします。
見知らぬ個人同士、なんの関係もなかったのに、
いきなり、憎しみや怒りがあったりします。
よく言われるように
人間は人間にとって狼(おおかみ)だ Man Is Wolf to Man
(ラテン語にさかのぼる言葉 Homo homini lupus) なのでしょうか?
そうではないでしょう。
はじめて会った時に、ちゃんと、「はじめまして」と挨拶をする。
それは、やはり、人間同士の、どこかで愛に基づくふれあいでしょう。
だから、「はじめまして」は、そのまま I love you なのだ
と、解釈できるのではないでしょうか?

I want you. 
よく目にします。耳にもします。
僕ハ君ガ欲シイ。
でも、ご存知でしょうか?
want って 欠乏 って意味もあります。

だから I want you って
僕ニハ君ガ欠乏シテイル という意味にもなります。
ルイ・アームストロングの満ち足りた思いは
もう 上記の意味での I want you ではないでしょう。
ワタシハ満チ足リテイルカラ 君ガ欲シイ です。
素敵でしょ?

第二次世界大戦下でのイギリスを率いた首相で
その回顧録がノーヴェル文学賞に輝いたチャーチル。
死去の際は国葬という礼によって送られましたが
次のように書いています。
訳をつけます。

Immature love says,
I love you because I need you,
mature love says,
I need you because I love you.

未熟な愛は言う
君が必要だから、君を愛する、と。
成熟の愛は言う
君を愛してるから、君を必要とする、と。

未熟な愛の I want you は
君が欲しいから、君を愛する 
ということになるでしょうか。

グレアム・グリーンの小説に
「情事の終り」(The end of the affair)があります。
作家が主人公なのですが、こんなことが書かれます。
「わたしは精神には死ぬほど倦(あ)き倦きした。
わたしは彼女の肉体のために生きたので
彼女の肉体が欲しかった」
この欲しかったが、満ち溢れてのことか
欠乏ゆえのことか、一目瞭然と思います。

こうもあります。
I had to touch you with my hands,
I had to taste you with my tongue;
one can’t love and do nothing.
君に触れなくちゃいけなかったんだ、自分の手で
君を味わわなくちゃいけなかったんだ。自分の舌で
人は恋をして何もしないというわけにはいかないんだ。

この小説の最後は、ごめんなさいネタばらしですが、
逆説的な表現とはいえ、最後まで抗(あらが)っていた神への
信仰告白かと思われます。

O God, You’ve done enough,
You’ve robbed me of enough,
I’m too tired and old to learn to love,
leave me alone forever
おお神よ、あなたは充分に成し遂げられた。
私から充分に奪っておいでです。
私は疲れ果て、愛を学ぶには老い過ぎているのです。
わたしのことは放っておいてください、永遠に。

ルイ・アームストロングのこの歌の境地は
世界が愛おしい。だから世界を愛する といった
人間としてひとつの到達点に至ったかのような
感覚を感じます。
たくさんのカヴァーがありますが、なかなか・・・。

そして、ありのままの美しさを
ありのままに美しいと感じる今
やがて訪れる死を予感して
世界は愛(かな)しく、美(かな)しい
と感じられる、と。

想いが深まり、溢れて告白となる。
でも、自分の想いが want の状態で欠乏していると、
源氏物語で描かれた六条御息所の生霊になっちゃう。
これは浅ましく、痛ましい。
やはり、欠乏の want ではなくて、
自分が充たされていて、
充たされたまま溢れ出る想いの告白でありたい。

いつものエリュアール Eluard です。

Nous sommes corps a corps nous sommes terre a terre
Nous naissons de partout nous sommes sans limites

ぼくたちの在り方 ふたりして肉体でつながり 大地につながる
ふたりして全てから生まれ ふたりして限りない存在

いやぁ、超訳しちゃった。

欠乏の影はないし、限りない存在であるほどに充たされている。
corps a corps が効いてます。ふたりの世界を具体的に保障しています。
それぞれが充たされているから、こんな二人なのかな?
二人だから、それぞれが充たされているのかな?
卵とニワトリですね。

ともかく。
想いにあふれ、心持ちはとても豊かなようで

Dans le lit plein, ton corps se simplifie

あふれるベッドの中、きみの肉体はいまシンプルなのだ
だったり、

Tout est clair sous ce drap blanc

この白いシーツの下で なにもかも明るいのだ
                (訳:高村智)

だったりしいて。

チャーチルで触れましたが、そう言えば
フロムも、 成熟した愛 について語っていましたね。
自分を捧げて自分が失われるかと思ったら
本当は、自分は自分で明確に存在するパラドクスが存在するなどと。

その状態のことをエリュアールは、次のように表現しています。

わたしがあなたを抱き あなたがわたしを抱き
わたしがわたしを抱き あなたがあなたを抱いて 
二人がどちらなのかよく分からずに

Je t’embrassais tu m’embrasais je m’embrassais
Tu t’embrassais sans bien savoir qui nous etions

単純と明晰(めいせき)。
溶融と分離。
恋愛なんて、時にはモンスターのように
なってしまうことがあるようですけれど
その魔性を吹き払って
この美意識は力強く、美しい。

ところで。
クラウディオ・アラウが弾く
ピアノソナタ第21番(シューベルト)を聴かれました?
想いがあふれるということは、なんと豊かなことでしょう。
豊饒で、とっても優しい!
アラウの白鳥の歌です。いつか、ぜひ。

ルイ・アームストロングの人間的完成を示すような
この素晴らしき世界 と肩を並べるほどの
人を包み込んで、温かく癒してくれるニーナ・シモンの名演も。
日本語訳は、感動するウェディングソング のページで。

トヨタのCMソング選びが素晴らしと思っていたら
さすがにホンダですね。以前から、個性的なCMをつくっていましから。

今回の Grace (グレイス)ハイブリッドは、
なんと、かつてのシビックと同じ
What a wonderful world  この素晴らしき世界を
を使ってきました。
でもサッチモでなく、映画「幸せのレシピ」で
Sway (Quien sera キエン・セラ)が採用されるなど
人気を伸ばしている Michael Bubléです。

部品のクオリティーを確かめるテストを重ねた結果
半年遅れの発売だそうです。
企業イメージって、大切です。


 
感情を抑えた、ストリングスの格調高い
アレンジを採用しているようで、今のところ
youtube で、その音源はないようです。

せっかくですから、その Sway song。
古いラテンのスタンダード曲ですが
今もちゃんと通用しますね。
しかし、シブい What a wonderful world と違い
幅のある表現力を聴かせていますね。