プランス・シャルマン(Prince Charment)。魅惑の王子様。
いつか白馬で迎えに来て、夢の国へと連れて行ってくれる王子様。
そこで、いつまでも、いつまでも、幸せに暮らしました。
そんな憧れを、そのまま現実にしてくれる男性。
魅惑の王子様って、恋を知り染める女性のための言葉ですね。
その段階の男の世界にあるのは、年上の女でしょうか?
ファム・ファタル(Femme Fatal)。運命の女、というのもあるけれど
ロマンスの時期がどうにも違うような気がします。
或いは、80歳代の女性にも魅惑の王子様は存在するかも知れない。
女にはいつも初恋よなどと、今、思いついたけれど、
どこかで聞いたような言葉が浮かんでしまいます。
それが本当に初めての男性であるなら、その行為は
なおさら大切な意味を持つと思うのです。
先の「贈る言葉」では、男性主人公こそ、
プランス・シャルマンとならなければいけなかったけれど・・・。
ブリトニー・スピアーズは、「結婚するまではしない」と公言していましたよね。
そうした行為は、自分が愛していて、一生を共にしたい男とだけ。
自分を本当にわかってくれて、一生、愛し続けてくれる人とだけ。
それって、胸がキュンとする感情。
単純だけど、かけがえがなくて
忘れてはいけない感覚です。
できれば、そうあってほしい。
それで一生が幸せで、なんの文句もありません。
ブリトニーが「贈る言葉」ほど、自覚的であろうとしたとは思えないけれど
10代の女の子の直感として、素朴な気持ちとして、
無意識な願いとして、女性の美しい生き方として、
(少なくともその時は)一人だけの男性を夢見ただろうことは
その出逢いと行為を、取替えのきくほかのものとは違うと感じていたのではないでしょうか?
二度とない、聖なるものとして認識していたのではないかな。
カトリックはもともとは離婚を禁止していました。
逢うべき者が逢って愛し合うことが結婚なのだからほかの組み合わせはありえない。
そして神によって、出逢いが間違いないものとして祝福されるのだから
離婚はありえようはずもない。
だから、ほかの人ともう一度、結婚をしなおすことなんてありえない。
聖なるものとして、ほかのものとは別の結ぶつきだと認めること。
そのことを表す言葉として、聖別という言葉が使われます。
直感で、「ロミオとジュリエット」のジュリエットのように
恋は一度きり、という美意識が
聖別という感じ方では、神が介在する出会いと認められることで理論化されます。
でも、ごめんなさい、ブリトニーの小さくて大きな願いは、破れたようですね。
その後の、特にパパラッチが追いかける最近の彼女は
無惨 に近い印象を受けます。
魅惑の王子様を夢見る少女の物想いを、ブリトニーがあの時と同じように持つことは、
もう、できないのではないでしょうか?
そうやって人生に傷つきます。
明るく希望に満ちていた人生が、少しずつ新鮮さを失い、夢を失い、
使い古されてシミがつき、くたくたになったハンカチのように
薄汚れていきます。
ハンカチなら捨てることはできますが、自分の人生となったら一度きり。
汚れていってしまうことから、逃げようがない。
中原中也を持ち出すまでもなく
悲しみでさえ、よごれちまうことだって現実に起きてしまいます。
でも、それでも、人は生きていくことはできます。
喪失感に耐え、失われた自分をいとおしみながら
時間に助けられ、
なんとか折り合いをつけて。
あなたがいなければ生きていけないと思ったほどの恋愛につまずいて
でも、今は、それぞれに待つ人がいる人生のシーンを描いた
竹内まりやの名曲「駅」。
(映像は、せっかく載せてくれたのに、ごめん。無視しましょ)
ラッシュの人波に消えていく後姿が、とても悲しく見える・・・。
2年前までのあのときの気持ちで、人を愛すことはもうない
そんな想いがあるのかもしれません。
振り返れば、別の男性と結婚している現在から見れば、
他愛ないほどで、可愛いとさえ言えるほどの自分の想い・・・。
どれほどに,、いとおしい恋愛だったのか、今ならわかる。
Nothing is sadder than the second love
それがわかってしまう今が悲しいと
逆説的かも知れないけれど、思い浮かべてしまう言葉。
だれの言葉だったのだろう?
けれども、そうやって大人になって行くのだけれど
薄汚れていくことが醜悪となることでは、もちろん、ありません。