パワーストーンの真実。

舎人独言

健康&グルメに・・・ 翡翠 のパワー。

痛ましい魂の歌 和訳 I’ll be home ティム・ハーディン

苦しいことやつらいこと、悲しいことなんかイヤだよね。
で、ぬくぬく心地よく過ごせる環境で、栄養も欲しいときに
美味しいものでとれるとしたら、こんないいことない。でも
たとえば、こんな岩などにぶちあたったことのない植物って
根を広く、しかも深くはる必要がないじゃない。ところが
ある時、ヒトの手が伸びてきてパッと簡単に引き抜かれちゃう。
思いがけない強風にも簡単に倒れちゃいかねない。
気楽だったり、ノリのいい曲、簡単に聞ける曲もあっていい。
でも、いつもじゃダメ。だっていつか人間は困難に出遭うのだから。
ヒナマリア・イダルゴの「別れの歌」とか、ティムのこの歌みたいに
つらい歌も時々、聴いてみて。それによって魂の奥底まで導いてくれる
歌を、どうぞ、ぜひ。

Midnight Caller ミッドナイト・コーラー
悲しいことを知っているから、優しさが生まれてくる。
それが美しさになる。傑作 Painted Head 収録。

青雲舎(株)の翻訳を信じるなら翡翠マグも信じてくださいネ。
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前のページのエイミー・ワインハウスも痛ましかったけれど
このティム・ハーディンはさらに痛ましい気がします。
エイミーって若くして逝ったから、恋愛関係で行き詰ってヤクに
走った感じがする(決めつけですね、ハイ)、ティム・ハーディンは
人生全体からはぐれてしまったというか、人生から背を向けられた・・・
ような感じで。裏ぶれて、こんなの自分がって想像したら、つら過ぎる。
それでもこの歌のように、 君のために と力を尽くすのです。
痛ましい魂の記録なのです。では拙訳です。

ぼくはいるよ 君が帰るところに
ぼくはいるだろう 君が帰るところに

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君の夜がトラブルまみれで
一人きりでいる時
気持ちが沈んで
ちょっと共感が必要な時
寄り添う誰もまわりにいない時
忘れないで ベイビー
いつでもぼくのことを当てにしていいんだ

ぼくがいるだろう 君が帰るところに
家に帰っているよ
ぼくが家にいるんだ

家にいるよ
家に帰っているよ

さまよっているようならいつでも
放浪するならいつでも
君は帰ってくるんだ それで ぼくはここで君を待っている
誰もぼくみたいに 君を愛していつづけるなんてないだろう
ぼくはここにいて 君を癒すよ
そうやって 君を見届けるんだ

ぼくは家にいるよ
ぼくが家に帰っているよ
ぼくが家にいるよ

無断転載はご容赦ください。リンクはフリーです。

この I’ll be home の翻訳は難しい。
普通なら、ぼくは(自分の)家に帰ります・帰っているだろう でしょう。
ですが、どうも違うナ。
呼びかけている相手に、ぼくはいるだろう 君が自分の居場所と思っているところに、
といったニュアンスを感じるのです。
だから訳文では、もう少し、かみくだいて
ぼくはいるよ 君が帰るところに なんてしてみました。
home を、君の帰るところ としたわけです。
感動的に盛り上がる女声コーラスですが、他人に尽くす姿が
十字架上のイエスのようです。人のために尽くす時、
人は犠牲となることもあるわけで・・・。
サイモン & ガーファンクル の「明日に架ける橋」の実践版かな?
自分ではない者のために、自分の身を横たえてもいいという心境・信念です。
呼びかける相手は、女性の恋人でも、男性の友人でもあるかもしれない。

Yankee Lady   ヤンキー・レイディ
痛ましいほどの悲しみや辛さだけど、そんなときでも
フと思い出されて、この裏ぶれた体を包んでくれる優しさがある。
おお ティミー ご覧なさい・・・
ペンテッド・ヘッド収録。

Painted Head は 1972年のリリースですが
この I’ll be home は 1996年の Simple Songs of Freedom
でセルフカヴァーしています。確かに曲の解釈が深くなっているようです。

痛ましいと言えば、エイミーはアーティストとして栄光に包まれているから
まだマシ。ティム・ハーディンは当時の大衆人気はイマイチだし
奥さんからも愛想を尽かされちゃった。自分が悪いんだけどね。
薬物の影響が子供に悪影響だからサ。でも、それでますます麻薬に走っちゃう。
結局、オーヴァードース(多量摂取)で死亡。エイミーとおんなじ。

そしてこのアルバム Painted Head も、まぁ評価されないけれど
凄い傑作アルバムなのです。どうか振り向いてください。
埋もれている名盤です。人類の偉大な遺産です。
ほとんど捨て曲なしなのです。正当に評価してあげないと、本当につらくて痛ましい。

Do The Do  
おー、いいじゃん・・・て聴いているうちに、いや、何年かしたら
ティムのこう叫ばずにいれれない気持ちがわかってきて。
これもペインテッド・ヘッドにあります。

You Can’t Judge A Book By Its Cover
Painted Head でのこの曲の方がよりロック色が濃くなり
(ブルース感よりも、ネ)、表現が深くなっているのですが
ま、ないよりはましだもん。

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    舎人独言には
    ★エロスに変容するバラの寓意
    ★ノートルダム大聖堂の聖なる秘数
    ★オパキャマラドの風景
    ★映画「華麗なる賭け」チェスシーンのセクシーの秘密
    ★名盤「クリムゾン・キングの宮殿」の実在のモデル発見
    ★映画「男と女」サンバ・サラヴァの謎

    といった解読シリーズがあります。

もうね、このアルバムに入ってるならどんな曲でも
ここに紹介したい。
ほんとに捨て曲なしです。
夜の指示まで暖かな想いがさみしく震えるような
Midnight caller とか、動画がないのが残念です。
では、まず Yankee Lady  ヤンキー・レイディ です。

Jesse Winchester ジェシー・ウィンチェスターの作品。
歌の中で おお ジェシー と呼びかけてもらう個所を
ティムは おお ティミー と歌い変えています。

I lived with the decent folks
In the hills of old Vermont
Where what you do all day
Depends on what you want
And I took up with a woman there
Though I was still a kid
And I smile like the sun
To think of the loving that we did
She rose each morning and went to work
And she kept me with her pay
I was making love all night
And playing guitar all day
And I got me apple cider and homemade bread
To make a man say grace
And clean linens on my bed
And a warm feet fire place
Chorus:
Yankee lady so good to me,
Yankee lady just a memory
Yankee lady so good to me,
Your memory that’s enough for me
An autumn walk on a country road
And a million flaming trees
I was feeling uneasy
Cause there was winter in the breeze
And she said, “Oh Jesse, look over there,
The birds are southward bound
Oh Jesse, I’m so afraid
To lose the love that we’ve found.”
Chorus
I don’t know what called to me
But I know that I had to go
I left that Vermont town
With a lift to Mexico
And now when I see myself
As a stranger by my birth
Yankee lady’s memory
Reminds me of my worth

サウンド的にはA面1曲目と傾向を同じくするB面のトップとなる曲。
Do the Do です。

Till We Meet Again

下記は Painted Head  のデータです。
1.”You Can’t Judge a Book by the Cover” (Willie Dixon) – 4:12
2.”Midnight Caller” (Pete Ham) – 3:09
3.”Yankee Lady” (Jesse Winchester) – 4:27
4.”Lonesome Valley” (Traditional) – 4:29
5.”Sweet Lady” (Dino, Sambello, Sembello) – 3:47

Side two[edit]
1.”Do the Do” (Willie Dixon) – 4:20
2.”Perfection” (Pete Ham) – 3:03
3.”Till We Meet Again” (Neil Sheppard) – 3:13
4.”I’ll Be Home” (Randy Newman) – 5:43
5.”Nobody Knows You When You’re Down and Out” (Jimmy Cox) – 6:38

Midnight caller  の英語歌詞です。

Midnight caller オリジナルはイギリスの バッドフィンガー  Badfinger

Beneath the midnight caller
She thinks of paper green
You never hear them calling her name
They just know where they’ve been

You never hear her holler
The tears no longer come
She reads her daily book of the past
That shows of everyone

Grey years that show in her hair
Can’t be, but don’t seem to care
She unlocks the door and there’s no one there

She sees a daytime stroller
Walk from the night before
And though she paints a smile on her face
He won’t be back no more

She’s got no saint to follow
She’s got no place to go

I lived with the decent folks
In the hills of old Vermont
Where what you do all day

I’ll be home の英語歌詞です。

I’ll be home
I’ll be home
When your nights are troubled
And you’re all alone
When you’re feeling down
And need some sympathy
There’s no one else around
To keep you company
Remember baby, you can always count on me

I’ll be home
I’ll be home
I’ll be home

I’ll be home
I’ll be home
Wherever you may wander
Wherever you may roam
You come back and I’ll be waiting here for you
No one else will ever love you the way I do
I’ll be here to comfort you
And see you through

I’ll be home
I’ll be home
I’ll be home

I’ll be home はシンガー・ソングライターでもある ランディ・ニューマン の作品。
Three Dog Night スリー・ドッグ・ナイトの ママ・トールド・ミー・ノット・トゥ・カム 
が1970年、全米ナンバーワンヒットとなって注目されました。日本ではそこそこの
スマッシュヒットでしたが。
内容のあるいい曲も書くのですが、彼自身はその歌の真価をうまく表現できた
とは思えませんでした。

Hardin was born in Eugene, Oregon and attended South Eugene High School. He dropped out of high school at age 18 to join the Marine Corps. He spent part of 1959 in Vietnam as a military advisor.[citation needed] Hardin is said to have discovered heroin in Vietnam.[2]
After his discharge he moved to New York City in 1961, where he briefly attended the American Academy of Dramatic Arts.[2] He was dismissed because of truancy and began to focus on his musical career by performing around Greenwich Village, mostly in a blues style.[3]
After moving to Boston in 1963 he was discovered by the record producer Erik Jacobsen (later the producer for The Lovin’ Spoonful), who arranged a meeting with Columbia Records.[4] In 1964 he moved back to Greenwich Village to record for his contract with Columbia. The resulting recordings were not released and Columbia terminated Hardin’s recording contract.[5]
After moving to Los Angeles, California in 1965, he met actress Susan Morss (known professionally as Susan Yardley),[2][6] and moved back to New York with her. He signed to the Verve Forecast label, and produced his first authorized album, Tim Hardin 1 in 1966 which contained “Reason To Believe” and the ballad “Misty Roses” which did receive Top 40 radio play.
Tim Hardin 2 was released in 1967 and contained “If I Were a Carpenter”.
An album entitled This is Tim Hardin, featuring covers of “House of the Rising Sun”, Fred Neil’s “Blues on the Ceilin'” and Willie Dixon’s “Hoochie Coochie Man”, among others, appeared in 1967, on the Atco label. The liner notes indicate the songs were recorded in 1963–1964, well prior to the release of Tim Hardin 1 by Verve Records. Tim Hardin 3 Live in Concert, released in 1968, was a collection of live recordings along with re-makes of previous songs; it was followed by Tim Hardin 4, another collection of blues-influenced tracks believed to date from the same period as This is Tim Hardin.
In 1969, Hardin again signed with Columbia and had one of his few commercial successes, as a non-LP single of Bobby Darin’s “Simple Song of Freedom” reached the US Top 50. Hardin did not tour in support of this single and a heroin addiction and stage fright made his live performances erratic.[citation needed]
Also in 1969 he appeared at the Woodstock Festival where he sang his “If I Were a Carpenter” song solo, as well as a full set of his music while backed by a band that included drummer Muruga Booker.
He recorded three albums for Columbia—Suite for Susan Moore and Damion: We Are One, One, All in One; Bird on a Wire; and Painted Head.
In 1973, Hardin appeared on stage with Harry Chapin as part of Chapin’s concert in Potsdam, New York. They jammed on a blues riff that survives in a bootleg recording. Some of the topics covered in the seven-minute long jam include drug use, travel and death. In Chapin’s introduction, he makes reference to Hardin’s participation as a session musician on his first two albums.[citation needed]
[edit]Later work and death

During the following years Hardin moved between England and the U.S. His heroin addiction had taken control of his life by the time his last album, Nine, was released on GM Records in the UK in 1973 (the album did not see a US release until it appeared on Antilles Records in 1976).
He sold his writers’ rights in the late 1970s.
Tim Hardin died of a heroin overdose in 1980,[7] and his remains are buried in the Twin Oaks Cemetery in Turner, Oregon.

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