孤悲

「孤悲」って、「恋」を表わす万葉集の当て字のひとつです。
万葉人がどう思っていたのか分かりませんが、
なにやら現代的意味を持っていそうな雰囲気です。

春にあって春を憶います。
もう何年も前のこと。
病床にあった妹は、「桜が間に合うかも知れない」と心待ちにしていました。
満開の花の下、車椅子を押されてわずかな時間の華やぎを堪能した彼女は、
間もなく去っていきました。
次の春はありませんでした。

Pour ne pas vivre seul
孤独に生きないために

歌っているのはクリストフ・ウィレム。
このシャンソンを彼が歌うと、
生きることの恐れ、心の震えが匂いたちます。
傷つきやすい柔らかな心のまま、
この世にひとりぼっちで放り出されて、心細く、頼りなげで・・・。
彼の解釈では「わたしといるあなたも、孤独」あたりで
抑えられない想いが噴出します。

例によって意訳で恐縮です。
しかし、こんな歌詞が流行歌だなんて、フランス文化って、全く!

それに比べて、日本の歌にありがちなのは
「ぼくはずっとキミのそばにいるよ」といった優しさのメッセージです。
でも3年、5年、10年と続く優しさに育つために、
一度は孤独を突き詰めることをしたほうがいい。
真っ暗な孤独の奥底から生まれ、鍛えられる強さだってあるのだから。
どんなに巧く隠したって、どんなに巧く逃げたって、
実はみんな孤独なのだから。

比べてみると、孤独の成り立ち、質、在り方が
日本とフランスでは違うような気がします。

孤独に生きないために
人は犬を飼う。
バラを育てて暮らす。
或いは十字架とともに生きる。

孤独に生きないために
人は出来事を映画のように仕立てる。
そんな風にして愛する。
思い出を、影を。何であれ。

孤独に生きないために
人は春を待って生きる。
春が行けば、
次の春のために生きる。

孤独に生きないために
わたしはあなたを愛す。
あなたを待つ。
孤独に暮らしているのではない、
孤独なんかじゃないと幻想を求めて。

孤独に生きないために
女の子が女の子と愛し合ったりする。
男の子と結婚する男の子だっている。

孤独に生きないために
そうではない子たちは子供をつくる。
その子供も、すべての子供のように
やっぱり孤独。

孤独に生きないために
人は大聖堂を建てる。
すべての孤独な人々が集う大聖堂を。
そして ひとつの星をつかまえて放そうとしない。

孤独に生きないために
あなたを愛し、
あなたを待ちながら
わたしは
孤独なんかじゃないと思い込む。

孤独に生きないために
友達をつくろう。
退屈な夜ごとに集まって、
ひとつにつながりあおう。
人はお金、夢、宮殿のために生きている。
だけど 二人用の棺があるわけじゃない。

孤独に生きないために
あなたと暮らすわたし。
あなたといて、わたしは孤独。
わたしといるあなたも、孤独。

孤独に生きないために
人は暮らす。
孤独なんかじゃないって
幻想があるかのように。

オリジナルで創唱したのはダリダ。
恋多き女性と言われた人です。
ひとつの星をつかまえて放そうとしない
S’accrochent a une etoile
と歌うところで右手を高く掲げて見せます。
孤独に打ちひしがれはしない、という決意表明でしょうか?
終幕、華やかなアレンジの陰で、
孤独は不気味な響きを伴いながら存在感を増します。

ダリダの孤独・・・たくさんの孤悲。
「許してください。人生は耐えられない」との言葉を残して
彼女は自殺を遂げてしまうけれど、それはいつかまた別のお話。