ジュ・トゥ・ヴ 和訳 サティ ジムノペディ あなたが欲しい 意味 ドゥミ・モンド

世界の永遠の名曲に日本語訳をつけて応援しています。
魔法? 失われた古代の 不思議 が復活です! 笑顔がはじけていますネ。
2つ目のマグカップの動画です。(弊社PR)

Satie サティの Je te veux ジュ・トゥ・ヴ の日本語訳です。
女性が男性を口説いていますよ♪ ビミョーでしょ? 
どんな関係なのか、ちょっと解読を試みましょう。
(2014年12月5日現在、フランス社会のシステムに触れて
解読を試みた例は、ネット上ではないようです)
ジムノペディが何を意味するか・・・サティが勤めたキャバレ 
シャ・ノワール については、一番下です^^

まず、歌詞の全訳です。
時代の雰囲気を心掛けています。
普通の現代語訳は、ちょっと下、4つめの動画の下にあります。

お悩みは承(うけたまわ)りました 愛しいお方
そこで お望みのものを差し上げましょう
わたくしを あなた様の愛人になさりなさいな
慎みからは遠い わたくしたち
悲しみからはなおさら遠くってよ
わたくし 熱望いたしますの
そこで、わたくしたちが幸せに過ごす高貴な瞬間を
わたくし あなた様が欲しくってよ


 
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ガリレオを支持できましたか? 翡翠マグは?
今まで見たこともない翡翠の プチ不思議 は23秒から。
皮膚トラブルで貢献できるケースだってあります(この行をクリック)
翻訳と同じく ありのままを誠実に です^^

   
後悔はありませんわ
そして わたくしの望みはただひとつ
あなた様のおそばで すぐそばで
人生のすべてを生きること
つまり わたくしの身体とはあなた様の身体
あなた様の唇とはわたくしの唇
あなた様の心はわたくしの心
つまり わたくしの肉体のすべては
あなた様のものってことよ

お悩みは承(うけたまわ)りました 愛しいお方
そこで お望みのものを差し上げましょう
わたくしを あなた様の愛人になさりなさいな
慎みからは遠い わたくしたち
悲しみからはなおさら遠くってよ
わたくし 熱望いたしますの
そこで、わたくしたちが幸せに過ごす高貴な瞬間を
わたくし あなた様が欲しくってよ

そうよ あなた様の瞳に見るの 神々しいお約束を 
あなた様の恋する心が わたくしの愛撫を求めてやってくるのよ
とこしえに睦(むつ)み合い 同じ炎に身を灼(や)き 
恋の夢の中 
わたくしたち 二つの魂を交換いたしましょう

お悩みは承(うけたまわ)りました 愛しいお方
そこで お望みのものを差し上げましょう
わたくしを あなた様の愛人になさりなさいな
慎みからは遠い わたくしたち
悲しみからはなおさら遠くってよ
わたくし 熱望いたしますの
そこで、わたくしたちが幸せに過ごす高貴な瞬間を
わたくし あなた様が欲しくってよ

「気」を発振する不思議な翡翠マグ と I love youの日(8月31日) の
青雲舎(株)が日本語への置き換えに挑戦しています。
それは歌の世界を可能な限り正確に理解するための試みです。
無断転載はご容赦ください。リンクはフリーです。

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    ★名盤「クリムゾン・キングの宮殿」の実在のモデル発見
    ★映画「男と女」サンバ・サラヴァの謎

    といった解読シリーズがあります。

この余裕。
あなた様とか、人生のすべてをおそばで生きるとか
上手に持ち上げて男性の自尊心を満たします。
カッコつけてクールな振りをする若者なんて
手もなく舞い上がっちゃいます。
もの柔らかなくせに執拗な上から目線。
若い男性を手のひらで転がして、楽しんでいるのネ。
で、それが結局、二人の幸せだからいいじゃないって
道徳的な良心のとがとか、肉体への畏れなんてもう関係ないわけです。
そこを読み切る男なら・・・女性は後できっと泣きの涙でしょう。

ロマン主義の花開いた19世紀から20世紀初頭のサロンって
こんな女性がいっぱいだったのかな?
現代の20代の男女の出逢いのシーンとしては
気持ちはともかく、こんなあからさまは
まず、あり得ない。

この歌が生まれたのは1903年のパリ。
華やかだけど、なにやら言うに言われぬ
おかしな空気が、この一組の男女の間にあるような。

決定的なフレーズは
Et je cède à tes vœux
Fais de moi ta maîtresse です。
直訳するなら
そしてわたしは あなたの願いに与える
わたしを君の maîtresse にしなさい

maîtresse って、なんでしょ?
家庭の女主人、先生という意味がありますが
愛人 でもあります。
英語なら mistress です。翻訳するとき、どうしても
この2行の影響が、ほかの歌詞に及んでしまいます。
試しに、できるだけ現代の感覚で翻訳してみましょう。

理解しました 君の悩みは 愛しい人
だから わたしは君にあげる 君の望むものを
わたしを君の愛人にしたらいい
わたしたちは慎みから遠く
悲しみからはなおさら遠い
わたしは熱望する
そこで わたしたちが幸せに過ごす高貴な瞬間を
わたし あなたが欲しい

わたしに後悔はありません
そして わたしの願いとはただ一つ
あなたのそばに そう あなたのそばで
わたしの生涯を生きること
つまり わたしの身体はあなたの身体
君の唇はわたしの唇
君の心は私の心
つまり わたしの肉体のすべては
君のものなのです

理解しました 君の悩みは 愛しい人
だから わたしは君にあげる 君の望むものを
わたしを君の愛人にしたらいい
わたしたちは慎みから遠く
悲しみからはなおさら遠い
わたしは熱望する
そこで わたしたちが幸せに過ごす高貴な瞬間を
わたし あなたが欲しい

そう 君の瞳に、わたしは見る 神々しい約束を
君の恋する心が わたしの愛撫を求めてやって来るという
永遠に睦(むつ)み合い 同じ炎に身を灼(や)き 
恋の夢の中
わたしたちは 二つの魂を交換するのです

理解しました 君の悩みは 愛しい人
だから わたしは君にあげる 君の望むものを
わたしを君の愛人にしたらいい
わたしたちは慎みから遠く
悲しみからはなおさら遠い
わたしは熱望する
そこで わたしたちが幸せに過ごす高貴な瞬間を
わたし あなたが欲しい

余分と思われる雰囲気を落とそうとしても
どうしてもあの2行に引っ張られて、
現代との感覚のズレが残ってしまいます。
わたしをあげよう とか
あなたの愛人にしなさい とか!
こんな言葉を交わすなんて、いったいどういう
男女関係なのでしょう?

20世紀初頭ですから国王がいる時代ではありませんが
フランスですから、貴族社会はそれなりに残っています。
貴族ではない庶民も、たとえ現実に身の周りにはなくても、
貴族社会の生活様式は、まだまだ十分に理解できます。

そこで思い出されるのが、すでに紹介した
ウィーンを舞台にしたリヒャルト・シュトラウスのオペラ
「ばらの騎士」(初演は1911年、ジュ・トゥ・ヴの3年後)です。
あの元帥夫人とオクタヴィアンの関係って
二人が初めて出逢ったとき、こんな感じがあったのかも。

12世紀の南フランスで、やんごとなき貴婦人らが開いた
恋愛法廷 Les cours d’amour で、恋愛は子供を生んでから
というケツロンが出ています。
そうしたところから、やがて貴婦人への憧れを賛美する
ロマンが広がって現代に至るわけですが
ともかく、上流社会の若い女性はどんな年寄りとでも結婚して
その家の血筋の継承に貢献する・・・が社会のルールでした。
オペレッタ「メリー・ウィドウ」も随分、年上の男性に嫁いだ女性が
国庫を左右するほどの大富豪の寡婦(ウィドウ)になってからの
あれやこれやを描いていますね。

逆に言えば、子供、特に男子を生んでしまえば
それで一応はお役御免です。あとはもう、建前はともかく
本音の部分では、うまくおやりなさい、というハンケツだったわけ。
だから貴婦人が若い男性を近づけるのは、暗黙の了解みたいな
社会システム?となったわけです。

たとえばルイ15世治下の貴族社会のありようを描いたとされる
フラゴナールの「ぶらんこ」(Les Hasards heureux de l’escarpolette)。
若い男性がブランコに乗る貴婦人のスカートをのぞき見しています。
その花咲き誇る貴婦人は靴をとばして、つまり逸脱を楽しんでいて
性的な奔放さを大胆に宣言しています。
そしてロープをひっぱって、むしろそのブランコ(性的行為の暗喩との説)を
あおっている年老いた夫・・・。まさに三角関係ですネ。
そして愛人の男性の上方には恋愛の矢を放つキューピッドがいて
唇に指を当て、語るなかれ、秘するべし と告げているかのようです。

フラゴナール 3

そんなわけで。この Je te veux ジュ・トゥ・ヴ って
若い悩みがいっぱいな男子の中から、
お眼鏡にかなった若者を選んでいる・・・
そんなシーンに思えるんですね。
現代社会でありがちな欲望まみれの誘惑なんかじゃない。
美魔女のエロスを秘めた思惑とイケメン男子の性的衝動との
華やかで、実は身もふたもない取り決め、取り引き。

以前、恋愛で男性が守るべき3つの「 S 」
つまり sabio solo segreto
男は賢く振舞い、ひとりで行動し、秘密を守る
という3つのSを紹介しましたが
Brantôme ブラントーム が書いた
その著書の名前が
Les vies des dames galantes でした。
艶婦伝 なんてタイトルで、高3の時に
読んだものでしたが^^
まさに、そんな艶なる貴婦人ってイメージも
わきますね。

・・・と思ったのですが。
もうひとつ、さらに有力な
いかにもありそうな想定がありましたぁ・・・^^

イギリスの上流社会になくて
フランスにはあったもの。
それが Demi-monde 裏社交界です。
半分の世界ということで、男性専科の社会です。

18世紀から20世紀初期にかけて、
富豪や支配階級の快楽追求的なライフスタイルに
つかず離れず登場する女性たちは
Demi-mondaine ドゥミ・モンデーヌと呼ばれ
Liane de Pougy らのセレブ美女が婀娜(あだ)な
名前を残しています。
後にはさらに特化してしまい、王侯貴族、富豪を相手とする高級娼婦
la courtisane クルティザンヌ や娼婦を指すこともあったようです。

江戸時代の吉原の花魁(おいらん)や島原の太夫(たゆう)では
ありませんが、la courtisane も深い教養と審美眼を身につけ
単なる性的魅力だけでない付加価値を心掛けていたようです。
寄ってくる男性が一流なら、女性の側のおもてなしも
一流である必要があるわけですから。
いくらでも下品になり得る性を、知性まで動員してでも
社会的動物である男性が夢見る世界に仕立てるわけですから、
女性の努力は大変です。

ですが所詮、最後の最後に求められるのは、おなじことでしょう。
快楽主義的なライフスタイルの行きつくところは
つまりはホンネの部分でのおつきあいというわけで
かたぎの女性には縁のない、やっぱり男性専科の社会。

最初の想定は年上の美魔女がリードしましたが
こちらの第二の想定は、反対に男性の嗜好が最後にモノを言う世界。
ま、ありていに言えば、実態は高級娼婦との援助交際。
その世界は、あのオペラ「椿姫(ラ・トラヴィアータ)」で有名ですね。
椿とはまったく関係ない、道をはずした女という意味ですが。

モデルとなった女性がいます。
Marie Duplessis マリー・デュプレシス (1824 – 1847)。
本名は Alphonsine Rose Plessisですが、後に貴族の生まれである
ことを示す du を付け加えて名乗っています。
余りに短い生涯の最後に、結婚により
Comtesse de Perrégaux ペレゴー伯爵夫人 となっていますが
23歳の若さで肺を患って亡くなっています。

なにが真実なのか諸説があるようですが
それほどに複雑で苦労した生い立ちだったのでしょう。
哀れです。生まれる時代が違っていたなら
バリバリの会社役員やセレブの奥様にだって
なっていたかもしれません。

それはともかく。
クルティザンヌが、自分も夢みることができる
若い男性とおつきあいを始めようとする
まさにそんなお誘いをするシーンを描いた歌。
そんな風にも取れませんでしょうか?
華やかだけど、ちょっと寂しさもあって。

この あなたが欲しい は
Erik Satieの歌曲集「ワルツと喫茶店の音楽」に
収められていました。
実は当時、サティがピアノで歌伴を務めていた
シャンソン歌手 ポーレット・ダルティ Paulette Darty
のために作曲したものです。
作詞は アンリ・パコーリHenry Pacory。
ポーレットは 魅惑のワルツ Facination で知られていますね。

オードリー・ヘプバーンの 昼下がりの情事 で
魅惑のワルツ が使われています。
しかし ’Love in the Afternoon’ からの
この邦題って、ちょっと時代がかっています。
ただ内容的には、正しい翻訳だと思いますけど。

オードリー演じるアドルフならぬアリアンヌは
本当はおぼこいのに
精一杯背伸びして情事に精通しているかのように
振る舞います。
最後の汽車のシーンでも、そんな強がりと嘘を並べ立てます。

ブリュッセルの銀行家が・・・とか言いながら
恋人はいっぱいいるって、強がりながら走って別れを惜しむのです。
なんか、泣いちゃうんですよ、このシーン。
嘘を並べ立てるほどに、アリアンヌの純真が輝きます。
うまいですね。

この一途さを信じて、稀代のプレイボーイが
結婚を決意して汽車の中へ抱き込むんですね。
女性への不信があって、でも肉体的要求と
生活の彩りから女性の間を漂っていただけの
稀代のプレイボーイが、その愛を
信じるに足る女性に出会ったのです。
三度目に見たら、断然、評価が変わっちゃいました。
さすが、オードリー・ヘプバーンです。

さて、解読の果ての結論です。いえ、結論めいた推察ですが。
曲者(くせもの)のサティが、演奏の難易度はともかく
こんなに素直で綺麗な、聴きやすい
曲を、どうして書いたのか?

彼の時代より少し前の時代、フランスでありふれてもいた
男女の情景を音楽で切り取ったサティです。
タイトルはその情景そのままに、あなたが欲しい です。
それを、現代(サティの時代の現代です)に
ノスタルジーと物語性まで盛り込んで提示してみせるのは
それはサティらしい諧謔(かいぎゃく)ではないでしょうか?
美しいメロディで砂糖をかぶっていますが、ごまかされちゃいますか?
この曲の存在自体が違和感でしょう? 感じませんか? という
サティの主張であり、問いかけのように思えます。

・・・なのですが、サティから既に100年近く。
たとえサティにその諧謔の意図があったとしても、今となっては
時の流れに雲散霧消しています。フランス人にはノスタルジックな
魅力的なワルツがかつての甘美な世界の残り香を振りまくばかりなのでしょう。

さてサティと言えば ジムノペディ Gymnopédie です。
彼が21歳での作品。
Je te veux よりも、こちらの方がいいな。
で、お勧めなのが パスカル・ロジェ Pascal Rogé  です。 
とがったところのない、おだやかでまろやかな眠りのような
時間が流れていきます。

ジムノペディの意味としては、古代ギリシャの
最強軍事都市スパルタで年に1回、太陽神アポロン神らにささげた
祭りのようです。
そこでは、若い戦士たちが裸となり、頭によろいだけの姿で
運動能力や戦闘技術を誇示したそうです。
健康にして屈強な男子たちが奉納する戦争の踊りって
なにか厳粛な気がします。
しかし幼くして親元を離れて集団生活をし
理由もなく奴隷を殺すことを男らしさと思っているような
残虐な一面もあったのですが。

で、サティはこの踊りを描いたツボをみて
ジムノペディの曲想を得たといいますが・・・。
音楽などろくに聴いちゃいない酔客相手の音楽。ショパンとか、
思いのたけを語り尽くすような音楽など似合いません。
不即不離(即かずず離れず)がちょうどいい距離感でしょう。
まさにBGMとしてピッタリです。
時代が、そんなことになった人間社会が送り出した音楽なんですね。

ジムノペディ

調べてみたら、こんなエピソードもあります。
ジムノペディの作曲が始まる3か月前のことです。

サティは1887年12月、仕事を得ようとしたのでしょうか
今もブドウ畑が残るパリ郊外の村、モンマルトルにある
Cabaret キャバレー黒猫(Chat Noir シャ・ノワール)を訪れ
手厳しい批評を繰り出すと言われる支配人から
「どんな仕事をしている?」と訊(き)かれたそうです。
で、はぐらかそうとしてサティが答えたのが
「ジムノペディスタです」。

Gymnos は naked 裸
Paedo は child 子供
ist は 練習・運動をする人
ということで、直訳すれば
練習中の裸の子供
と答えたことになります。
あなたの前では駆け出しの手も足も出ない子供ですよ
と表面上は、そんな受け応えですよね?

でも意訳すると、自由きままで とか
しがらみとか約束なしで といった
意味合いだったようで
なるほど、自由気まま とは
当時のモンマルトルそのままの雰囲気で
サティは見事に切り返したものです♪
(黒猫は魔女の化身として殺処分の対象となった歴史があり
既成のそうした良識???に逆らうかのような
サブカルチャーの拠点がシャ・ノワールだったわけです)

キャバレ 黒猫 は、常連だったロートレックの
宣伝ポスターが有名ですね。
最初、モンマルトルのロシュシュアール大通りで開店し
まもなく引っ越し、さらに1907年に現在地へ引っ越したそうです。
天井には山高帽に丸メガネ、鼻の下とあごにちょびヒゲという
自らカリカチュアしたサティの自画像とサインが残されています。
個人的には写真家、 MAN RAY と PAUL ELUARD のサインが気になります。
横には マン・レイ(要するに光線男ネ)が撮影した
詩人 エリュアールの妻、ニュッシュのヌードを
そのまま映したような線描があって
les mains libres  解放された手 と書き添えられています。
斜め下から撮影されたような線描の顔は確かに
斜め上の太陽を仰いでいて、両腕は軽く開かれているようです。
自由となった手 束縛を強いられず、強いもしない手。
エリュアールの世界ですね♪