サウンド・オブ・サイレンス 和訳 サイモン&ガーファンクル オーム

世界の永遠の名曲に日本語訳をつけて応援しています。
魔法? 失われた古代の 不思議 が復活です! 笑顔がはじけていますネ。
2つ目のマグカップの動画です。(弊社PR)

Simon & Garfunkel サイモン&ガーファンクルの The Sound of Silence
サウンド・オヴ・サイレンス  を翻訳しているページです。
「沈黙という音」に関して、時計代わりの琵琶の音、ヴァイオリニスト、
五嶋みどりさんの禅の音など、日本人と The Sound of Silence について書いています。
また日本の 沈黙と言う音 に対して西洋が The sound of silence に
アプローチしている具体例のように聴こえるジムノペディの名演や
ミケランジェリの弾くマズルカ、アファナシエフのピアノ(9番目)を最後の3つの
動画にもそんな The sound of silenceを感じることがあります。よかったら^^

ポール・サイモンの「サウンド・オヴ・サイレンス」誕生秘話の
インタビューは黒っぽいオリジナルヴァージョンの動画の下にあります。
では全訳です。

やあ 暗闇だね ぼくの昔からの友達だ
また来たよ 君と話をするために
なぜって あるヴィジョンがそっと忍び込み
その種を残していったんだ ぼくが寝ているうちに
それで 植えつけられたヴィジョンが
ぼくの頭の中に今も残っている
沈黙という音の中に


 
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場所は愛知県安城市のアンフォーレ(安城市図書館、JR安城駅から徒歩4分)エントランスホールです。
 

せわしない夢の中を ぼくは一人歩いた
狭い 石畳の数々の道
街灯の丸い灯りの下を
湿気と冷気に対して ぼくは襟を立てた 
ぼくの目が ネオンのきらめきに刺されたその時
夜は引き裂かれていた そうやって触れたんだ
沈黙という音に

そして裸電球の光りの中に ぼくは見た
1万の 恐らくそれ以上の人々を
人々はしゃべっているんだ 話すことなく
人々は聞いているんだ 聴くことなく
人々は書いているんだ 声が分かち合うことが決してない歌を
そして誰も敢えてかき回そうとはしなかった
沈黙という音を

「愚か者たち」ぼくは言った
「君たちにはわかっていない
癌のような沈黙が育っているのを」
聞いてくれ ぼくが君たちに教えるかもしれない言葉だ
取ってくれ ぼくが君たちに差し伸べるかもしれない両腕を
だけどぼくの言葉は 物言わぬ雨のように落っこちていた
そして こだましたんだ 沈黙という幾つもの井戸の中で

さらに人々は額(ぬか)づき、祈った 彼らがつくったネオンという神に
そしてネオンサインは警告を点滅させた ネオンとなっている言葉の中で
そしてネオンは語る 「預言者の言葉は地下鉄の壁と
安っぽい長屋建築の廊下に書かれている」と
そして ささやいたんだ 
沈黙というその音を

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「気」を発振する不思議な翡翠マグ と I love youの日(8月31日) の
青雲舎(株)が日本語への置き換えに挑戦しています。
それは歌が意味する世界を可能な限り正確に理解するための試みです。
無断転載はご容赦ください。リンクはフリーです。

The sound of silence の翻訳を 沈黙の音 とした例は
数多くありますが、 沈黙という音 とした例は
2015年11月3日現在、ネット上ではほかにないようです。
of はこの場合、修飾関係を表すのではなく、同格の of です。
従って前後の言葉は同じものを意味しているとして解釈しています。
静寂、無音 という訳語の選択もあるでしょうが、静寂は
silence ではなく stillness ですね。

最後の The sound of silence  だけ、The の意味を
訳出しました。本来は全部でそうすべきなのですが
くどいから最後だけネ。
sound  で the  がつき、silence では冠詞がないニュアンスにも
ご注目です。

最初、サウンド・オヴ・サイレンス はヒットせず、わすかに2000枚と言います、
プロデューサーは二人のことは知らないまま、ギター2本の伴奏だった
オリジナルにかぶせるために、ベース、ドラムス、ギター2本の
セッションプレーヤーを雇い、世界的ヒット・・・
というのは、確かに聴きやすくなったのだけれど
聴く側の力としてはどうよ? と思わないでもない。
隠れた原石を見分ける力、なさ過ぎでは?

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    舎人独言には
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    ★ノートルダム大聖堂の聖なる秘数
    ★オパキャマラドの風景
    ★映画「華麗なる賭け」チェスシーンのセクシーの秘密
    ★名盤「クリムゾン・キングの宮殿」の実在のモデル発見
    ★映画「男と女」サンバ・サラヴァの謎

    といった解読シリーズがあります。

沈黙という音・・・何のことか、ちょっとわからないかもしれません。
でも、日本人なら、「静寂」の音って
なんとなく納得できてもいるのではないでしょうか?
(stillness がフォーマルに静寂って感じですが、歌ですから気軽に
silence 沈黙 を採ったのでしょう)

平安時代、眠っていたある貴族が突然、目を覚まし
隣に寝ている女性に、今、なんどきか?と訊ねます。
時計などありませんが、女性はかたわらの琵琶を手にして
ビーン、ベーンと弦を鳴らし、耳を傾けます。
琵琶の音と空間の感覚。
どのように夜の気配と響きあうかで、何時かと知ろうとするわけです。
時間を探し当てて女が答えると
男は、「そうか」と、また寝入ったと言います。
男には不思議でもなんでもない。
それが当時の常識だったのですから。間違うようなら、
常識になどなりようがありません。

日本庭園によくある鹿威し(ししおどし)を想像してください。
水がたまって竹筒が上下に動き、石の支持台を叩いてカンと立てる音。
一音成仏(いちおんじょうぶつ)の世界です。
音によって、むしろあたりの閑(しづ)けさが際立って感じられます。
これがたとえば、「静寂という音」ですね。

古池や蛙(かわず)飛び込む水の音 
芭蕉の有名な発句です。これも水の音を聞いているのではありません。
むしろ水の音によって存在があきらかになった静寂。
その静寂の響きを、パチャという水の音で確認させられたのです。
そして古池という時間を積み重ねてきた、
何者かがおわしますかのようなたたずまいの場所だからこそ
長~~~い時間の音としても聞くのです。
古池はその時、ひとつの小宇宙です。
宇宙の宇とは時間、宙とは空間のことですから
静寂の音とはつまり、宇宙の音でもあるのですね。

竹林がかすかな風でちょっと揺れ、笹がふれあってささやく。
茶室で喫する茶はきっかけ、場所の提供、会同の口実であって
それよりも、その風の音、竹の音を味わうのではないでしょうか。
主人がしつらえた舞台=茶室に出現してくる種々のかすかな気配に
広く主客の会衆が思いを致すこと。できれば満座で同様に感じるなら・・・。
そうやって惻隠の情を抱き合い、互いに過不足なく気遣える仲となる。
それでこそ一座建立、茶趣といったもので、そうやって心深く
感性を磨いてきたのが日本の茶道の伝統だったのではないのでしょうか?

そして一期一会(いちごいちえ)とは狭義には「今、風が・・・」「そうですね」
といったやり取りで、その日、その時を帰らざるものとして受け止めたと
いうことなのでしょう。その瞬間はたちまち過ぎて取り返しようもないとしても
その覚悟を持って見送ることができた、できるという美意識.
常住坐臥その刹那刹那一刻一刻を覚悟を以って。
井伊直弼。さすがに武士ならではの烈しい覚悟です。
その覚悟を秘めて静寂の世界に身を置くことこそ
日本文化の至高の境地なのかもしれません。

牛は牛連れ。そうしたあれこれがわからない
心底の浅い人とは深いつきあいができないと半ば権高く、
敷居の高い御仁(ごじん)もおられるのでしょう。
そんな人を見ると、つい「茶の道廃(すた)るべし」と
マンネリや驕りを危惧した利休居士の言葉は全く正しい
とうなづいてしまうのだけれど。

良くも悪くもなのですが、お茶に限らず、わかった者同士で暮らしたほうが
無用に神経がささくれ立たないからいいのです。心地よい空間なのです。
さすがに京都。しかし、されど京都でもあるでしょうか? 
京都はやっぱり日本の縮図です。なじみの心休まる世界から
出ようとしない保守的な日本人。
平安な世界とは自ら限界を設けた世界なのでしょう。
このグローバルな世の中で、いつまで
許されるものかはわかりませんが・・・。
いや、京の伝統美そのものは永遠であってほしいけど。
(たとえ十字架状態になって血を流すことになっても
両腕を広く開いて多くの人たちにオープンマインドで
接するほうが、人間としては上等だとは思います)

剣術では、静中に動あり、動中に静ありと言うそうです。
陰陽と言いますが、陽は陰の中に生じ、陰は陽の中に生じます。
と日本人は伝統的に矛盾する感性に親しみ、欧米とは異なる価値観を
育ててきました。
The sound of silence という歌を、和の静寂の音を通して聴くことができるなら
世界で一番に理解できる人々は、日本人であると思われてなりません^^

こうした日常に基づく感性を持っているから、実は
日本人はボサノヴァに向いているんです。
ボサノヴァは沈黙を含む、沈黙を大切にしている音楽ですから。
一音成仏とボサノヴァの関係についての詳細は
カエターノ・ヴェローソ 最も美しいもの
のページでご覧ください。
ただ、この歌の sound of silence と、日本人が感じる静寂の音とが
ピタリと重なるかというと、正直、判断材料がまだ足りないのですが。
秋の虫の音なんか、日本人が世界でも特殊なことに、雑音とは聞かず
趣ある音として捉えることができるのは、この感覚のおかげでしょうか。

しかし静寂・沈黙・無音とは、絵画に当てはめて言うなら「空白」でしょう。
なんにも描かれていない部分。これって、西洋的感覚では恐怖なんだそうです。
だから、なんとかその空白を埋めようとして、何かを描きこむ。
余白の美があってこそ画面が生きる日本画とは段違い平行棒です。
日本人は、この空白がないと息が詰まるし、くどく感じるんですね。
サイモン&ガーファンクルは、その空白にも、実は意味があるんだ
と、西洋の伝統的美意識に物申したと言えます。

先ほど宇宙の音と書きました。宇宙の究極の姿を活写する音です。
では、どんな音? みなさん、その音はきっと知っていらっしゃいます。

オーム です。団体となり、運営と展開がおかしくなって社会の脅威と
なってしまったけれど、オームそれ自体は本来、神聖な言葉です。
岡倉天心に宛てたバングラデシュの女性、プリヤンバダ・デーヴィー
の手紙は毎回、オーム で始まっていました。(「宝石の声なる人に」)
チベット仏教を扱ったNHKの番組では、僧侶らの祈りは
wwwWWWぅぅうううぁぁああああおおおぉぉうううぅぅWWWwwwwmmmm
といった感じで、さながら地から沸き起こり、宙にとどまって
鳴り止もうとせずに自ら発振しつづけるといった独特な響きでした。
これは宇宙の始まりと終わりを意味しています。
最初の wwwなんか、ビッグバンの前の滲みだしみたいですよね。
そして宇宙が閉じられる mmm・・・。宇宙の生と死なのです。
なるほど、オームとは神聖と言えるわけです。
(宇宙は開放系と閉鎖系、そのまま並行するものと3つのタイプがあるようです)

で、このオームが西に伝わってアーメンとなり、東に伝わって
阿吽(あうん)となりました。お寺の山門を守る仁王像や
神社の狛犬の口が阿吽の形をとっています。
阿形(あぎょう)は口を開き、吽形(うんぎょう)は閉ざしています。
阿と吽の間は宇宙線が張られているとみなされ
この線が聖なる結界となっています。邪を寄せ付けない装置です。
神社の狛犬(こまいぬ)は必ず阿吽でセットですから
身近で簡単に開いている口と閉ざされている口が確認できますね。
たしかに sound of silence は、神聖にして神秘的なのです。
(翡翠マグは現在の科学では把握しきれていないし、不思議だけど、
慣れてしまえば当たり前で、神秘感はないなぁ^^. )

そう言えば、「題名のない音楽会」でMCの五嶋龍が姉、五嶋みどりの
ヴァイオリンについて「彼女には『禅』なところがあって、音がない
ところに集中力があるので、無にスペースがないと言うんですか・・・」
と語っていましたネ。(2015年3月13日放送)
日本人は、日本の文化は、そこここに静寂の音を隠しています。

1964年のオリジナルヴァージョン。

60’s だったけれど、音楽専門雑誌「ミュージック・ライフ」だったかな
アーティストたちが音楽をしていなかったら、何になっていたか?
という企画があって、サイモン&ガーファンクルは 哲学者
となっていました。・・・納得ネ^^
(サイモンと打つと 祭文 に文字化け。これって何よ!?)

哲学者かどうかはともかく、この歌の歌詞にある
People talking without speaking,
People hearing without listening, って象徴的じゃない?
ネット社会が発達した現代の、いびつがいびつと感じられなくなった
コミュニケーションの在り方を既に預言していたのかもしれませんね。

さて、ポールのインタビューです。

プレイボーイ誌にこう答えています。
「ひとり座ってギターを弾き、夢をみたんだ。
とても幸せだったよ。いつもお風呂場に行くことにしていたんだ。
タイルが貼ってあるから、ちょっとしたエコー室で、蛇口を開いて
水が流れるようにしてさ。その音が好きなんだ。心休まる気がしてね。
で、弾いたんだ。真っ暗な中で。やあ、暗闇だね、ぼくのなじみの友だちだ。
また君と話すためにやってきたよってね」

別の媒体でのインタビューです。
「サウンド・オヴ・サイレンス」の鍵はメロディと歌詞の単純さなんだ。
若書きの歌詞だけど21歳にしては悪くはない。洗練された考えとは言えない
けど、カレッジの教材で読んだり、いろいろ読んだものから寄せ集めた考えだね。
奥深いレヴェルでボクが経験したようなことじゃない。誰もボクのことを
聴いてはいない、誰もほかの人のことを聴いてはいない、とかね。
ポスト思春期の恐れだな。でも、或る程度の真実のレヴェルではある。
何百万の人たちに支持されたし、それって大きくは、シンプルで
歌いやすいメロディだったからなんだ」

また当時の若いソングライターが皆そうだったように、ボブ・ディランを
敬愛していて、それでも「歌詞にディランの影響がでないように大変な努力
をしたんだ。とても難しいことだった」と語っています。

ラヴ・マイナス・ゼロで紹介していますが、ディランは恋人を通じて
禅の影響を受けていたわけです。欧米社会全体が一種のブームのようでも
ありました。サウンド・オヴ・サイレンスに禅味が加わっていても不思議
ではないし、日本人はこの曲を聴くとき、「静寂という音」といった
禅味を民族の血として無意識に感じ取っているのかも知れません。

The sound of silence へと至ろうとする巡礼のような音。
パリはモンマルトルのやかましい酒場で初演されたこの曲は、ピアノの音と喧騒が、
互いにぶつからないようにできているように、時に錯覚したりします。
ピアノの音はむしろ、音と音で空間をつくるための壁というか、仕切りのようなもの。
肝心の聴くべき主役は、その音空間の中に湛(たたえ)られた The sound of silence。
特に Pascal Rogé  パスカル・ロジェが弾くこのジムノペディ1番は、どこの宇宙から
滲み出たものか、かなり濃密な沈黙の音が不思議な水のように湛えられているかのよう。
そんな音空間が時に、かつ消えかつ結びしているような素敵なパフォーマンスです。

Satie : Gymnopédie no 1

Arturo Benedetti Michelangeli アルトゥーロ・ベネデッティ・ミケランジェリが弾く
ショパンのマズルカ Chopin Mazurka  作品 33 no. 4

沈黙のなか、静寂のなかにすでにある音楽を、ふと聞こえるように示すことが、音楽家の仕事なのだ
と、「ピアニストは語る」の中で書いたアファナシエフ。そのシューベルトの21番のソナタです。
AFANASSIEV, Schubert Piano Sonata No.21 in B-flat major, D960