クリムゾン・キングの宮殿 和訳 エピタフ モデル フリードリッヒ2世 解読

世界の永遠の名曲に日本語訳をつけて応援しています。
魔法? 失われた古代の 不思議 が復活です! 笑顔がはじけていますネ。
2つ目のマグカップの動画です。(弊社PR)

クリムゾン・キングの実在のモデルを、歌詞に登場する言葉と一致する
具体的事実を挙げて特定していきます。
「運命の鉄の門」や「教皇は太陽、皇帝は月」、さらに時代背景となる
「混乱 Confusion 」ほか符号する点が偶然と思えぬほどに数多くあります。
ファンなら、これを知らずには死ぬに死ねない!?

赤いマントをまとい、赤い石棺に眠っています。
ナビとなっているこの太字のどこでもクリックすると、写真をご覧になれます

不粋なことで恐縮ですが
青雲舎(株)が発掘したと思われる事実を後日
剽窃されるのはフェアではないので
記録しておきます。

実在モデルの特定と根拠は
2014年7月12日現在、
弊社関係者がフェイスブックとツイッター、
ミクシィ、趣味人倶楽部で
実名を挙げずにモデルの実在を告げた以外
ネット上では一切、検索されておりません。
また音楽誌もまだ、ないようです。
(8月18、19日にモデルの実名をミクシィなどで公開)

ガリレオを支持できましたか? 翡翠マグは?
今まで見たこともない翡翠の プチ不思議 は23秒から。
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翻訳と同じく ありのままを誠実に です^^

 
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個人の引用やリンクなどはフリーですが
雑誌・新聞・テレビほかメディア媒体が
二次使用を含めて無断引用・転用することを禁止させていただきます。
現在、どこにも転載・引用許可を出しておりません。

★舎人独言にどんな音楽がある?を探す
ミュージックリスト(目次。クリックできます)はこちら。

まずエピタフ Epitaph の歌詞をご覧ください。
歌詞とはテクストです。モデルを特定するための
ヒントが隠されています。では、拙訳です。  

預言者たちが書き記した壁が
継ぎ目のここかしこでひび割れている 
死の楽器の上で               *
陽の光りが明るくきらめいている 
悪夢で 夢で あらゆる人々が
引き裂かれている時 
月桂樹の花冠を手向ける者は 誰とていない  *
沈黙が叫び声を飲み込んでいるのだ

  *the instruments of death 死の楽器は、風によって
   虎落笛(もがりぶえ)となるサレコウベが想定される。
   2014年7月12日現在、ネット上で同様の解釈を取る
   サイトはほかにないようです

  *月桂冠は、古代オリンピックで優勝者に与えられた
   唯一の褒賞だが、墓地や記念碑などに捧げられる
   より大きなサイズの月桂樹のリース(花冠)もある。

混乱 それが我が墓碑銘であるだろう
ひび割れ 毀(こぼ)たれた小径(こみち)を
わたしは這い進んだのだ
可能なら われら皆 過去に戻って
座り 笑うことはできる
だがしかし わたしは恐れるのだ 
明日のことを
そうなのだ わたしは恐れる
わたしが泣き叫んでいるだろう明日のことを
そう 明日のことを恐れる 
わたしは泣き叫んでいるだろう

運命の鉄の門の間に
種子は時間となって播(ま)かれ
水を受け取っている
事の次第を知る者 
事の次第で知られた者の
営為(えいい)という水遣(や)りによって
而(しか)して 誰もルールを設けないなら
親しくなじもうとも 知るということは致命的なのだ *
わたしの視界にある全人類の運命
それは愚者の手に落ちることになる

  *中世ヨーロッパでは 知 knowledge とは、正しい信仰の妨げであり、
   異端につながるとして警戒の対象だった。
   ローマン・カトリック世界の常識として
   聖書は読むことを禁じられ、文字が読めるとわかれば
   死を迎えることもあったと、堀田善衛氏は「路傍の人」に書いている。
   死とは、抹殺と浄化を目的とした、たとえばジャンヌ・ダルクのような火刑。
   チェコのヤン・フスも有名であり、ご承知のとおり、ガリレオは危なかった。

混乱 それが我が墓碑銘であるだろう
ひび割れ 毀たれた小径を
わたしは這い進んだのだ
可能なら われら皆 過去に戻って
座り 笑うことはできる
だがしかし わたしは恐れるのだ 
明日のことを
そうなのだ わたしは恐れる
わたしが泣き叫んでいるだろう明日のことを
そう 明日のことを恐れる 
わたしは泣き叫んでいるだろう

預言者たちが書き記した壁が
継ぎ目のここかしこでひび割れている
死の楽器の上で
陽の光りが明るくきらめいている
悪夢で 夢で あらゆる人々が
引き裂かれている時
月桂樹の花冠を手向ける者は 誰とていない
沈黙が叫び声を飲み込んでいるのだ

混乱 それが我が墓碑銘であるだろう
ひび割れ 毀たれた小径を
わたしは這い進んだのだ
可能なら われら皆 過去に戻って
座り 笑うことはできる
だがしかし わたしは恐れるのだ 
明日のことを
そうなのだ わたしは恐れる
わたしが泣き叫んでいるだろう明日のことを
そう 明日のことを恐れる 
わたしは泣き叫んでいるだろう
泣き叫んでいるだろう

「気」を発振する不思議な翡翠マグ と I love youの日(8月31日) の
青雲舎(株)が日本語への置き換えに挑戦しています。
それは歌の世界を可能な限り正確に理解するための試みです。
無断転載はご容赦ください。リンクはフリーです。

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    舎人独言には
    ★エロスに変容するバラの寓意
    ★ノートルダム大聖堂の聖なる秘数
    ★オパキャマラドの風景
    ★映画「華麗なる賭け」チェスシーンのセクシーの秘密
    ★映画「男と女」サンバ・サラヴァの謎

    といった解読シリーズがありま

最初に結論を。
実在のモデルとはフリードリッヒ2世(イタリアではフェデリコ2世、
1194年12月26日 – 1250年12月13日)です。
父から神聖ローマ帝国皇帝としてドイツと北イタリアを、
母からシチリア王国国王としてナポリなど南イタリアとシチリア島を
継承していました。

ある意味、半世紀ほど後に出現するルネサンスの明るすぎる曙光であり
むしろルネサンスを飛び越え、近代に近づいてさえいます。
ヨーロッパ中世史に燦然と輝く偉大な男と言えるでしょう。

エピタフの歌詞に沿ってモデルとなる根拠を示します。

☆ 運命 (the iron gates of fate 運命の鉄の門)
運命 fate とは、Michael Scotマイケル・スコットが行った
預言のことです。
マイケルはフリードリッヒの友人にして側近、
宮廷占星術師にして医師であり、
アリストテレスをラテン語に移し変えた翻訳家でもありました。
フリードリッヒとの出逢いは、フィボナッチ数列の
フィボナッチの紹介によります。
  *ピサの裕福な商人の息子で、本名はリオナルド・ピサーノ。
   商取引の場に0から9までのアラビア数字を応用するべきとする
   「算盤の書」を著した。彼の取引計算法はヴェネツィア、フィレンツェ、
   ジェノヴァほかで採用され、為替手形の考案につながった。また同書の
   中でインドで発見された数列を紹介しており、フィボナッチ数列と呼ばれる。 
   + - × がヨーロッパに登場するのは後年の15世紀。

その預言は
皇帝は Flora 花 にちなんだある町の
ad portas ferreas (the iron gates、鉄の門)の近くで薨去(こうきょ)する。
“…morirete vicino la porta di ferro,
in un luogo il cui nome sarà formato dalla parola fiore…” (イタリア語)
“You will die near the iron door in a place
whose name will be formed by the word ‘flower’.”(英語訳)
というものでした。

この預言を受けて、フリードリッヒは
fiore (花)にちなむ場所を避けるようになります。
たとえば政治的に大変に重要なポジションを占めるフィレンツェ
(当時の地名は Fiorentia フィオレンティア、花咲く地と言う意味)
へ、一度も足を踏み入れていません。合理的な理由がなければ
公的立場ではあり得ない忌避です。
預言を単なる言い伝えとする説もあります。しかし、フィレンツェが
皇帝派についた政局的に必要なときでさえ入城した記録がないことは、
不吉な預言が実在したことをうかがわせる充分な状況証拠でしょう。

フリードリッヒは間もなく60歳になろうとする冬、
南イタリアでイスラム教徒を移住させるために建設した
ルチェラ郊外で鷹狩り中、突然、激しい腹痛に襲われます。
出発した町に戻るには12キロもある。
まず体を休ませる必要がある。
鷹狩りのために建てられた・・・とはいえ
預言のせいで一度も訪れたことのない小さな城 
Castel Fiorentino カステル・フィオレンティーノ(Domus Fiorentino)
に運び込まれます。余りに衰弱が激しかったのです。
なんと、こちらの fiore 花 だったわけです。

☆ 鉄の門 the iron gates of fate
カステル・フィオレンティーノに運び込まれた後、昏睡から覚めると
He was told that the doors of the gate were made of iron
フリードリッヒはベッド横のドアが
城の塔のひとつに続いていることを知らされます。
その塔の門こそ、鉄製 the iron gates でした。
(ピート・シンフィールドは間違いなく、このエピソードを知っている!
元新聞記者としては、ピタッとはまった、決まりだ、と思いましたね。)

‘This is the place where I shall make an end, as it was told me.
The will of God be done; for here I shall die.’
「言われているとおり、ここで終わりを迎えるのだ。
神のご意思ゆえ、ここに私は死ぬことになる」と大声で叫んだと言います。
病名は不明ですが、当時、一帯では赤痢が流行していました。
病状は一進一退を繰り返しながら次第に悪化し
フリードリッヒは遂に1250年12月13日、亡くなりました。

☆ Confusion
Confusion will be my epitaph
混乱がわたしの墓碑銘となろう というその混乱とは、
イタリアの惨禍であった皇帝派と教皇派の対立を指すのでしょう。
人生の集大成となる墓碑銘に、
混乱と刻まれることの苦しみと悲しみ、無念、諦念・・・。

実は12世紀に既に芽吹いていた、父祖から継承した混乱です。
ローマ教皇庁が最も怖れた
同一君主による北と南からのローマ教皇領(中部イタリア)の挟撃が
現実となったための脅威=混乱でした。
まさにドイツ、北イタリアと南イタリアが強力な同一君主の支配を
受けるという地政学的脅威がフリードリッヒによって生じていました。
(このため名目だけでも長男をドイツの支配者としていますが)

こうした政治的構造による混乱ばかりではありません。
フリードリッヒの個人的資質もローマ教皇庁との対立の原因でした。
フリードリッヒはローマ帝国の復興を、そしてそれ以上の
法治主義に基づく君主制近代国家の建設を目指していました。
しかし中世キリスト教圏を心身両面で覆い尽くす社会基盤そのものであり、
既得権益の代表でもあったローマ教皇庁と、フリードリッヒの意思は
ぶつかりあい、対立をもたらすのは必然です。
(法王という表記が一般的ですが、ローマ教皇庁=バチカンは
教皇という表記を望んでいるようです)

つまり政治的な対立を父祖から継承し、さらに
時代的に早すぎた政教分離をめざすという
中世社会の常識=ローマ教皇 に変革を促す者という
個人的意思が原因となって、混乱はさらに根深く絡まってしまったわけです。
たとえばフリードリッヒは、こう語っています。
I will soon be the hammer of the world. Rome,
a long time wavering, having committed a multitude of error
神の栄光という美名のもと、華美な贅沢と多くの誤りを繰り返す
ローマ教皇の世界に対して、フリードリッヒはハンマーたらんとしたのです。

彼の合理的精神からすれば、宗教はどうにも腑に落ちないところが
あるから、教皇庁の意向など恐れずに喝破してしまいます。
「モーセ、イエス、ムハンマドの三人が世界中を騙した。
神が処女から生まれたなどと信じるのは狂気の沙汰である」
現代人と同じですよね。ですが、この時代、一般人なら死刑でしょう。
王朝は違うけれど、同じ神聖ローマ帝国皇帝が教皇に屈した
カノッサの屈辱(1077年1月)からまだ200年足らず。
ルネサンスもいまだ訪れていない時代のことです。

まさしく
Stvpor mvndi(Stupor mundi ストゥポール・ムンディ=世界の驚異)、
そして太陽の王 と呼ばれるほどに
開明的で、「王座上の最初の近代人」と評価されるにふさわしい
フリードリッヒでした。
(特に中世では u と v の区別はなかったといいます。
スペイン語なんか今でも あなた を意味する
Usted が Vsted でも通用しています。
Stvpor mvndi という表記も BVLGARI ブルガリと同じですね)

皇帝派と教皇派の対立をもう少し詳しく述べます。
北タリアでピサ、シエナ(皇帝派)、ボローニャ、ジェノヴァ(教皇派)
などの都市国家を巻き込んだ皇帝派(ギベリン)と教皇派(グェルフ)
との世俗権を争う死闘でした。
ダンテの神曲やマキャベリの君主論にも影響を与えていますし
ロミオとジュリエットの悲劇は、それ自体はフィクションながら
この両派の争いという歴史的事実を背景としています。
つまり、この混乱がなければ浅田真央選手が演技した
曲「ロミオとジュリエット」は生まれなかったはず・・・・
となりますよね~♪

教皇派から皇帝派へ、皇帝派から教皇派へと、各都市が複雑な離合集散を
繰り返す中、多くの戦いが生まれ、悲劇が生まれています。
エピタフの歌詞にある、死の楽器とは、そうした戦いの最中に倒れた
反逆者を含む敵対する人々が野にさらしたサレコウベというのは、
納得できる気がしますが、いかがでしょう?
フリードリッヒにとってはドイツで反逆し、結局自死した長男が
最初に思い浮かぶかもしれません。
あるいは帝国(王国)の将来を支えるべく育てたのに反逆した
重臣たちの子弟のことかもしれません。
実際、さらし首になった者もいます。

フリードリッヒの死後、フリードリッヒの願いにもかかわらず。
嫡男は神聖ローマ帝国を継承できないまま早くに亡くなり、孫の代で
ホーエンシュタウフェン朝 Hohenstaufen は断絶し、大空位時代
へと突入します。まさに恐れていたとおり、泣き叫ぶべき Confusion 
です。こうした空白があって始めて、やがてハプスブルク家が勃興します。

シチリア王国も、死を看取った最愛の女性との間にもうけた
いま一人の嫡子はフランス軍によって敗死し、失われます。
その娘でスペインに嫁いでいたコンスタンツァがシチリア島を回復しますが
南イタリアはフランスのものです。
(一大貿易中継地であったシチリア島は当時、非常に豊かで
フリードリッヒの軍事費をまかなっていた領地でした)
フリードリッヒとは生にあっても、死にあっても
まさに Confusion 混乱を招き、深化させた人物でした。

☆ クリムゾン 
塩野七生氏の「皇帝フリードリッヒ二世の生涯」に拠って
クリムゾンの由来を解読します。
フリードリッヒは、シチリアに眠っていますが
遺体は、薄地の上に厚地を重ねた絹製の服をまとった姿で、
いずれも赤の色でした。

皇帝の色とは本来、古代ローマでは紫でしたが、
教会が紫を喪の色としたため、皇帝の色は、赤となっていました。
このためフリードリッヒは諸侯を招いた宴会(普段は倹しい食事だったが、
宴会は豪華だった)でも、自らの結婚式でも赤色の衣装を着用していた。
深味のある赤色、つまりクリムゾンは古代ローマで
ハドリアヌス帝が特に好んだため、皇帝の色となっていました。

・・・ということは「クリムゾン・キングの宮殿」のクリムゾン・キングは
クリムゾン(皇帝=神聖ローマ帝国皇帝)であって王(シチリア王国国王)という
2つの要件を満たすことが必要となるわけで、この点でもやはり
フリードリッヒ2世を想定していることの例証となるのではないでしょうか?
勿論、2つの要件を満たす君主は数多いのですが。

フリードリッヒの石棺や着衣の写真を検索する場合は 
Federico ii Il sarcofago をキーワードにすると便利なようです。


上記のキーワードで検索できるページです。太い黒文字をクリックしてください。
モデルの名前とともにご覧いただけるようにしたサイトですが
再度、ここにも設置しておきます。石棺と赤の着衣の図などです。
聖フランチェスコも登場しますが
アッシジで即位した際、町の有力者の息子として
洗礼を祝う合唱隊の一員として臨席した可能性があるほどに
同時代人だからでしょう。聖のフランチェスコと俗のフリードリッヒと、
2大改革者が奇しくも遭遇していたようです。

少なくとも Epitaph の主人公は
フリードリッヒ2世の一生と符号しており
同定できたかと感じますが、いかがでしょうか?
音楽雑誌の編集者に拙論を見せたところ
「興味深いが」とのことで採用されませんでした。

根拠としてはまだ弱いということでしょうか?
ピート・シンフィールドが創造したクリムゾン・キングとは、
フリードリッヒその人のことか
あるいはフリードリッヒを一部で下敷きとしながら、さらに
自由に想像の膨らみを持たせた、かなり幅広い
キャラクター設定なのか。
アルバムコンセプトについて、再考が必要なようです。

なお court は従来、宮殿 という訳が当てられていましたが
フリードリッヒが全アルバムを通してモデルと想定されるとしたら
むしろ 宮廷 のほうが、歴史的事実に即している気がします。

そうそう、皇帝なのに、なぜキングかという疑問がありました。
クリムゾンとキングが単独で意味するものは上記の通りですが、
クリムゾン・キングという表現は、クリムゾンが形容詞、キングが修飾される主体
といった関係となっています。
クリムゾン・キングなら、皇帝であるキングとなり、
キングである皇帝とはちょっとニュアンスが異なるわけです。
つまり、なぜ、キングがより主体的な表現であるのか、という疑問です。

ピート・シンフィールドの意図は勿論、わかりかねますが、この点では
フリードリッヒがドイツよりも、南イタリアを自分の庭として愛し
亡骸が現にシチリア島にあるという、シチリア王国の国王として
のほうがより印象深い点が大きく作用しているかと考えます。
作者が敢えて明言を避けるのは、余り細部を突き詰めると膨らみを失って
物語としての魅力を失うという、誰しもが考え得る創作上の配慮があった
ことも充分、可能性があります。
しかし、実はどちらでもいいのだよ、どちらの側から見るかという違いだけで
実は同じ人物なんだ、という意味から、アルバムタイトルでは
クリムゾン・キングとし、バンド名ではキング・クリムゾンとした、という
想像もできないわけではありません。

また 教皇は太陽、皇帝は月 
Pope’s Sun, the Emperor,moon
というイノセント三世の言葉も、とくにアルバム最終曲の
In The Court Of The Crimson King で
意味を持つのではないでしょうか?
発言した当のインノケンティウス三世がフリードリッヒの後見人として
成人まで保護者という立場にあったことは皮相な気がしますが。
(幼くして父皇帝を失ったフリードリッヒのために、シチリア王国女王の
母が多額のお金でインノケンティウス三世に依頼した)
インノケンティウス三世は大変な秀才であり、法王権の絶頂を極めましたが
いかにもそんな偉い人のやりそうなことで
それまで「ペテロの代理者」とされていたローマ法王の地位を
「キリストの代理者(助祭)」と昇格させて自称しています。
(ペテロは最初のローマ司教。法王はペテロの継承者。本名は
シモンで第一の弟子だが、イエスから「教会を築く石になれ」
と言われ、石を意味するペテロへ改名した)

The rusted chains of prison moons
Are shattered by the sun

冒頭の2行ですが、月を皇帝、太陽を教皇とすれば
何を示しているか、わかる気がします。

皇帝である月は教皇である太陽に打ち砕かれ
囚人の鎖につながれて既に錆びるほどに長い。
そんなイメージが湧かないでしょうか?
錆びた鎖は太陽によって砕かれた
と読むのが普通でしょうが
捕囚された月の錆びた鎖は
太陽によって打ち砕かれたゆえの状況なのだ
とも読めなくはありません。
that が或るところににあれば、まさにその通りとなります。

moons というのは、月=皇帝 と
長期の時間(複数の月々)とのダブルミーニングかな?
フリードリッヒの目指すところと、ことごとく対立し
打ち消そうとしたローマ教皇庁の動きは
まさにフリードリッヒを鎖につなごうとする行為です。まさしく
フリードリッヒの治世は
毀(こぼ)たれた小径を這い進むが如き努力=営為だったことでしょう。

また purple piper は、フリードリッヒその人の暗喩かもしれません。
purple 紫 は、上記で触れたように本来は皇帝の色ですが
キリスト教が喪服の色としました。
フリードリッヒはその喪服の色を着て
人々を導こうと、精一杯、笛を吹いたのではないでしょうか?

あるところで拙論を載せたところ、ムーンチャイルドのモデルの
話になりました。
皇帝=ムーンのほか手がかりは見つけられないのですが
フリードリッヒと最愛のビアンカの唯一の男子である
マンフレディの娘かな、と思わないではありません。
後にフランスからシチリア島を回復した
コンスタンツァです。
あえてモデルを挙げるならということで
自信はありません。

ムーンチャイルドは 歌詞の中で she ですから女性でしょう。
当時、女性に活躍の場はほとんどありませんから
フリードリッヒの後を継ぐ血縁では
シチリアのコンスタンツァのほか
ほかに当てはまる人物は見当たらないように思われます。

Confusion will be my epitaph
を、フリードリッヒの感慨とするなら
この1行に彼の深い溜め息を聞く思いがします。
もちろん現代人の目で振り返れば、
もっと大きな混乱をマルティン・ルターがもたらすだろう、と
慰めることもできるかもしれません。 
ですが、そのような相対的評価など欲しくはない、と
フリードリッヒは受け入れることを
きっと、了とはしないでしょう。

インテリ、いわゆる intelligence 英語での インテリジェンス は
ラテン語を語源としていて 行間 inter を 読む legere
ということだそうです。
行間を読むって、やっぱり想像力というか
それも自分勝手じゃなくて、ちゃんと根拠に基づいた想像をするためにも
必要なのでしょう。
つまり幾つもの事実を整理し、そのの事実をうまく並べ替えることで
浮かび上がってくる真実というものがある、ということです。
このモデル発掘の試みで、
花の町での死の預言や運命の門。クリムゾン、関連サイトで見ることができる写真
などの事実を挙げてきましたが、フリードリッヒが果たして
モデルとして浮かび上がることは、なかったでしょうか?

フリードリッヒ二世について 
ウィキペディア フリードリヒ2世 (神聖ローマ皇帝) 
のキーワードで簡単に見つかります。
より詳しい参考文献として、上に挙げた
塩野七生氏による「皇帝フリードリッヒ二世の生涯」を
お勧めします。

暗黒などと形容されることもあるヨーロッパ中世で
太陽と呼ばれるほどに耀かしいフリードリッヒ。
国家の合理的かつ効率的な運営には官吏の養成が必要として
ナポリ大学を設立(1224年)しています。また
彼の宮廷はイタリア語のゆりかごでもあったといいます。
ソネットが生まれ、シチリア学派が形成され
ローマ人が話していたラテン語の口語化の背中を押すことで
イタリア語の成立にかかわっていった。そして、そんな
文芸の香りはやがてダンテ、マキャベリ、さらに
メディチ家の最盛期を出現させた「バッカスの唄」の
ロレンツォ・ディ・メディチ Lorenzo de’ Medici 
へとつながっていきます。
フリードリッヒの営為によって播かれた種子は
ルネサンスを準備したわけです。

奇しくも塩野氏によって、ロレンツォの詩と
吉井勇の「ゴンドラの唄」との共通性が指摘されています。
本当は長いようですが。

Quant’è bella giovinezza,
Che si fugge tuttavia!
Chi vuol esser lieto, sia:
di doman non c’è certezza

如何(いか)にも麗しきかな 青春
げに遁(に)げ失(う)せゆくなれど
誰(たれ)とても幸せたるを望まん さあらざれば
明日の頼みがたきを

一方、志村喬(たかし)がブランコにひとり座って歌った
ゴンドラの唄(黒澤明監督映画「生きる」)は以下のようなものです。

いのち短し 恋せよ乙女
あかき唇 あせぬ間に
熱き血潮の 冷えぬ間に
明日の月日は ないものを

遠いとはいえ、フリードリッヒの営為が播いた種子のひとつが、
遠く下ってロレンツォの詩藻をはぐくみ、次に
時間的にも空間的にもさらに遥かな日本という土壌で、
吉井勇の豊かな詩藻を刺激し
花開いたと言えなくはないでしょうか?

そしてさらに、萩原健一(ショーケン)の
「美(うる)わしのかんばせ」 へと結実としたのかもしれません。
藤公之介の作詞です。

君 美わしのかんばせを
わが枕辺に 近づけて
熱きくちびる 重ねよや
時うつろいて 過ぎぬ間に

なお英文によるモデルの考察もあります.
King Crimson, Frederick II, Mythology and Hermetics  とか
IN THE BEGINNING WAS THE WORD ~ In the Court of the Crimson King ~ です。

人物はフリードリッヒ2世と、弊社と同じ結論ですが
根拠の提示が薄弱なようです。
思いいれだけで語るのは、ためらわれるところですが・・・。

フリードリッヒ2世は今、
シチリア島のパレルモ大聖堂で眠っています。

さまざまな論考が展開されてきたプログレッシヴロックを代表する
「クリムゾン・キングの宮殿」ですが
今回、敢えて一石を投じさせていただきました。
しかし拙稿は試論に過ぎないでしょう。
ファンの皆様の審判を仰ぎたいと思います。

キング・クリムゾンであり、ELPでもあった
グレッグ・レイクの訃報が流れました。
またも偉大なミュージシャンを世界は失いました。
しかし彼の、彼らの名盤は不滅です。自分が生きたという証明を
業績として残しました。グレッグも不滅となったのです。
                           合掌