ベサメ・ムーチョ 和訳 シモーニ 罪 ママカースト マウンティング 陶酔 吉野秀雄

世界の永遠の名曲に日本語訳をつけて応援しています。
魔法? 失われた古代の 不思議 が復活です! 笑顔がはじけていますネ。
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孤独な魂が、出逢うべき人を前にして、心からの想いを告げる。
そんなシモーニのベサメ・ムーチョ。
大人の想い・・・です。

Besame mucho とは キスするという動詞 besar に
わたしに という me をくっつけた言葉で、一応
命令形です。この場合はもう少し親密感があります。
BZN の同名異曲は一番下で動画を。
では、全訳を。

キスを わたしにキスを いっぱいに
この夜が まるで最後のように

キスを わたしにキスを いっぱいに
こわいのです あなたを失うことが
この先 あなたを失うことが


 
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キスを わたしにキスを いっぱいに
この夜が まるで最後のように

キスを わたしにキスを いっぱいに
こわいのです あなたを失うことが
この先 あなたを失うことが

そばにいてほしい とても近くに
あなたの瞳に わたしを映してほしい
わたしの隣に あなたを見つめていたい
思われることは 明日、きっと
わたしは遠くにいるだろうということ
ここから とても遠くに

キスを わたしにキスをして いっぱい
最期の夜となるかのように

キスを わたしにキスをして いっぱい
あなたを失うことがこわい
もう あなたを失ってしまうことが

「気」を発振する不思議な翡翠マグ と I love youの日(8月31日) の
青雲舎(株)が日本語への置き換えに挑戦しています。
それは歌の世界を可能な限り正確に理解するための試みです。
無断転載はご容赦ください。リンクはフリーです。

翠帳紅閨(すいちょうこうけい)に枕並べし閨(ねや)のうち・・・。
夜は深い。わたしたちの想いもまた。
艶なること比類なき情景。
(冒頭は近松門左衛門「冥途の飛脚」から)

Besame mucho と訴えかける者の魂の孤独。
シモーニの声には、その切なさがあります。
名演です。

大人のレッスンのようなシモーニの「ベサメ・ムーチョ」です。
ワイワイがやがやでは教えられることはできない
孤独な時間に耳を傾けるレッスン。
なぜキスを求めずにいられないか・・・。

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    ★映画「華麗なる賭け」チェスシーンのセクシーの秘密
    ★名盤「クリムゾン・キングの宮殿」の実在のモデル発見
    ★映画「男と女」サンバ・サラヴァの謎

    といった解読シリーズがあります。

Besame mucho という言葉の日本語訳を
前半と後半とで、二通りに訳してみました。
その理由は、次の「罪」を紹介した記事の
下に書きます。

ともかく
酸いも甘いも 
傷心も陶酔も 
優美に包み込んで  
なんとエレガントな女性でしょう。 
何千万の宝石も高価な毛皮も 
こんな女性なら間違いなく値します。

Diana Krall ダイアナ・クラールのパフォーマンスも素敵♪
ソフィスティケイトされた、英語圏ならではのアプローチです。
こんな陰影に彩られた恋に身をやつすなんて
おかしな言い方だけど、いかにもカッコいい大人の女です。

Cesaria Evora  セザリア・エヴォラのパフォーマンスも
素敵ですね。

キスにもいろいろあります。
エスキモーキスとかバタフライキスが、そうです。
エスキモーは正式にはイヌイットと呼ばれるべきですが
あいさつの習慣として鼻と鼻をこすり合わせるのだそうです。

バタフライキスとは?
これはかわいくて、顔をずらしあい、
まつげとまつげをパチパチと
蝶々のようにして触れ合わせるものです。
で、グッナイトと言って就寝するのだそうです。

「アドロ」「アルフォンシーナと海」「バンバのカブロッシャのサンバ」
を紹介してきたシモーニ Simone ですが
手垢がついたこの名曲を
これほど見事に生まれ変わらせました。
この陶酔感! そして清潔感!
シモーニの声によって、愛の行為は儀式となるのです。

男性の真実にたどりつこうとして、どうしてもたどりつけない
どこかで満たされていない焦燥が
彼女の声が内包する孤独感によって浮き彫りとなっているかのよう。
自己を見つめて孤独を意識しているこの声だからこそ
この歌に厳粛な響きを与え
新しい意味を再発見したかのように聴こえます。
自信をもってお薦めできるベサメ・ムーチョです。
(ブラジルのポルトガル語では、Simone は
シモーネでなく、シモーニと読みます)

こんなにもうっとりとした時間が流れるのは
それは、あなたが、うっとりしとした時間が
この世でどれほど貴重で、大切なことかを知っているから。
苦くて辛い時間も経験してきているから
その大切さ、ありがたさがよくわかる。
それがわかるから、大人の恋。
多分、恋と言いながら、それが実は
肉を与えられて生まれてきた喜びということ
欲望というものだということも知っていて
知らないふりができる大人だから。

シモーニで、もう1曲、素晴らしく美しい歌を。

知りはしない
禁じられているのか
許しがあるのかなんて
地獄へ導くのかなんて
ただ 知るのは
それが恋とだけ

知りはしない
この恋は罪なのか
罰があるのかなんて
法律とは無縁なのか
男の栄光 
そして神の栄光なのかなんて

ただ知るだけ      (リピート)
それは旋風となって人生を圧倒すると
わたしを引きずり 引きずって 
盲目の情熱のさなか
あなたの腕の中へと

それは わたしより強い
わたしの人生 わたしの信条 わたしの運命よりも
つよい わたしが尊敬するすべてのことよりも
神を畏(おそ)れることよりも

あなたに恋することが たとえ罪であっても
あなたが恋しい 変わることなく
すべてが わたしの権利を否定するとしても
手放したりはしない この恋を

Pecado ペカード がオリジナルのタイトルです。
罪 という意味です。
ジャンルとしてはタンゴなのですが
ボレロに仕立てられています。

ジジ・ポッシには
タンゴからボサノヴァに仕立てた、素晴らしい
Yo tengo un pecado nuevo 新しい罪を持っている
美しい曲がありましたね。
タンゴの持つほの暗い情念をちゃんと受け継ぎながら
シモーニの声は、その情念を適度に清浄化しています。
おかげで、いやらしさなど、微塵もありません。

求ム、共犯者 ^^
ひとことで感想を言うなら、そんなとこですね。
背徳感も確かにエロティシズムを後押しするようです。

カエターノ・ヴェローゾも Pecado を歌っていますが
シモーニよりも後の録音ですし、陶酔感を彼なりに
表現したかったのかもしれません。
でも、ちょっと重たかったかな?

歌詞の内容からして、どうも不倫っぽいですね。
不倫ゆえの「罪」ということでしょうか。

不倫は結果としてはそうなのですが、ヨーロッパでは
結婚関係を維持しながらの夫以外の男性との恋愛
という認識で、案外、罪の意識がないところもあるようです。
裏とはいえ、大人の恋愛が社会的認知の歴史を持つヨーロッパと
個人の事情でしかない日本との格差は
たとえば男性側による写真をともなっての暴露
となって現れたりはしていないでしょうか?

源氏物語が紫式部によって書かれた約150年後、
12世紀の南仏で恋愛法廷 Les cours d’amour が開かれています。
ゲームの一面もあったようですが、それなりに社会的認知を受けたコンセプト
ともなったのが、「夫婦の間に真の恋愛は存在しない」という考え方です。
背景には、結婚というものが男女の気持ちよりも
領地や政略やらを背負って、年齢もほとんど考慮されることなく
話が進められていた、という事情があります。
家父長制社会での財産の正式な継承を保障する結婚制度であるだけに
しかるべき家の女性はまず、嫁して子供を生む。
子供を生んで家の存続と、誰に文句をつけられようもない
相続を確かなものにしたら
女性としての義務はひとまず御免です。
あとは、恋愛なりなんなりと、建前を崩さない範囲で、
うまくおやりなさい、という実情を反映していたわけです。

このコンセプトはヨーロッパ中に広がり、
たとえばウィーンで展開するオペラ「薔薇の騎士」では
年の離れた夫と結婚している元帥夫人(32歳以下)には
17歳の恋人がいることが特にスキャンダルでもなく
常識のように設定されています。
女性はまず円熟した男性の庇護を受けて成熟し、しかる後に
今度は、未熟な若い男性を育てるという構図でもあるのですが。
言わぬが花の世界で、表立ってとなればスキャンダルでしょうが。

裏の社会制度として日常的に結婚外恋愛が存在する西洋と
不倫が個人の問題でしかない日本とで
恋愛や不倫が発展・深化で異なる様相を見せるのは
当然と言えば当然でしょう。

以前の男性が自慢やら復讐やらお金を目当てに
信頼と愛を捧げてくれた女性を裏切るのは
いつの時代であれ、あっても仕方がありません。
ですが、その方法で
洗練されているのか、プライドなどうかがえない浅ましいものか
不倫を含めた恋愛の歴史的事情が社会に影響していると
みるべきではないでしょうか?

先にも書いていますが、せっかくですので
ここでも一部をコピペしておきます。

16世紀から17世紀にかけての作家
ブラントームに Les Dames galantes 艶婦伝
というゴシップやら噂話やらを満載したモノの本があります。

そのブラントームが書いたことには、恋愛にあっては
男性に守るべき 3つのS trois S. S. S. があり
女性に避けるべき 3つのF trois F. F. F. があるのだそうな。

すなわち、まず sabio solo segreto です。
男は賢く振舞い、ひとりで行動し、秘密を守る です。
男は黙ってブラックホール、というわけですね。
それなのにモテ話を放言したがるのは、愛情とはまったく関係ない
男の虚栄心のせいです。
女性はご用心、ご用心。
こんな男を信じてはいけないし、信じた女性も
見る目がなかったのだから自身が悪いということでしょう。

秘密の扉の向こうでなら、安心して羽を伸ばしてやりたい放題、
バレなきゃいい、というのも、なんだかなぁという気がしますが。
とにもかくにも、むか~~~しから、世間体は取り繕って
女性としての名誉を保ち、安全を確保したうえで好き勝手?
とも言えるのでしょうか?女性の率直な意見をうかがいたいところです。
(世間体というか、意識してかせずしてか、女性って
どうしても、ほかの女性たちと位取りをしてしまいがちなようです。
相対評価に命をかけると、なかなか幸せになれないでしょうに。
その点、男のほうが少しだけ絶対評価になじむ気がします。
もちろん、強烈な出世欲とか、社会的評価への偏重が
女性以上に露骨に噴出する方もいるようですが)

位取りといえば、お母さんたちに縁がありそうなのが
冷静に考えれば好ましいとは言えないとわかるはずの
ママカーストでしょうか。

シングルだって、位取りと無縁ではありません。
沢尻エリカの久しぶりのドラマ復帰ということで話題の
「FIRST CLASS ファースト・クラス」がそうでした。
それぞれ内面の声が適時、表面化する演出なので
登場人物のキャラクター紹介からして、他人との比較をしまくり。
ドラマだから、わかりやすい極端な設定なのでしょうが
その他人との比較を、マウンティングという
はやり始めている言葉で切り込むようです。

Mount には、(宝石を)ちりばめる などといった意味もありますが
登る が一般的でしょう。
マウンティングとは、元は動物学の言葉でしょう。
相手の体の上にのぼる、相手が体の上にのぼることを了承する
といったことになります。
わたしはお前より上 わたしはあなたより下 と行動で確定させることで
仲間内での仕分け・順位=秩序が決まるわけです。

でも、このドラマでの使い方は、人間なのにイヌやサルといった扱い。
それだけに鮮烈な言葉ですが。
ドラマの最後には、なんと
現在のマウンティング・ランキング なんてくくられていました。

マウンティングは、ドラマの中で、格付けと説明されていましたが、
日本語には、「位取り」という人間関係を示す言葉がもとからあります。
或る京都出身の作家によると、もう、京都人の物言いは
位取りのしまくりなのだそうです。ちょっとした言葉遣いで
あいつ、うちとこ見下してん  とか
言葉の端々で、その位取りをやりつ、やられつするわけです。

位取りは、適切なら、社会・人間の程よい緊張感となり、
その発展にも貢献しますが、気をつけないと簡単に過剰となります。
過剰な位取りは、ドラマがどのように進むかはわかりませんが
きっと人を傷つけ、嘘を蔓延させ、理不尽を強めるデメリットが
多いことでしょう。きれいなルックスなのに、まさに、 
外面如菩薩 内心如夜叉 の世界。
意識的であれ、無意識であれ・・・
マウンティング女子かぁ、勘弁してほしいなぁ。
あ、無意識にしてる人って、自分は関係ないと思っているから
一番、怖いと思いますけど・・・。

いつも言いますが、幸せの基準を他人の評価とかの
相対的なものに求めると結局、マウンティングにつながってしまいます。
それでは、幸せにはなれないのではないでしょうか?
他人に比べて自分の方が勝った、という競争心=位取りは
結構、浸透していると思われる「あるがままに」というコンセプトが
付け焼刃でしかないか、自分の都合次第で使い分けているせいかな?
青い鳥ではありませんが、幸せは身近なところにあります。
自分の中にあるのです。
相対的価値観ではなく、自分を磨いて、自分という
絶対的価値観に自分の幸せを預けたほうが、ずっと心穏やかなことでしょう。

ごめんなさい。いつもの脱線でした。偉そうにネ。
話は、男に禁じられた3つのS でしたね。
恋人禁止なのにバレてしまったAKB48の指原莉乃さんは、
好きな男性のタイプは? と訊かれると
口の堅い人、と答えて笑わせてくれます。
でも、その言葉はネタであることと同時に、
本心でもあるのではないでしょうか?

さて次に、女性の避けるべき 3F です。
それは fea flaca fría 。
醜くて、やせっぽちで、冷たい女性は、ダメということです。
こと恋愛に関しては、という条件付きですから、誤解はご容赦を。
精神面で要請されているのが、冷たくしないで
だけというのは、なんとなく女性を馬鹿にしているようですが
現実的な判断ではあるかもしれません。

ベサメ・ムーチョという歌の成立に、実は
興味深い事実が秘められているようです。
それは・・・。

ベサメ・ムーチョはメキシコの作曲家
コンスエロ・ベラスケスの作品です。
罪だからと、まだキスも知らない17歳になっていないときに作曲した
と言われますが、グラナドス(スペインのクラシックの作曲家)
の「嘆き、またはマハと夜鳴きうぐいす」に
インスピレーションを受けたとされます。

コンスエロ・ベラスケスは ベサメ・ムーチョと
自分の子供のいとおしさを歌った歌で知られます。
翻訳をアップしていますので 赤ちゃんの歌 和訳 コンスエロ で検索してください。
亡くなったときは、国葬の待遇を得ています。

ですが、どうも年齢にサバを読んでいたらしく
実際は4つ年上のようです。
女性って、どうして、そんなところで嘘を言うのでしょうね?
ネット風に言うなら、盛ることが大好きなのかな?

さらに、もうひとつの「実は」があって
友だちが死の床にある夫を病室に見舞ったとき
最期が近いと感じたのか、夫は妻に、しきりに
「キスをしてほしい」とせがんだ、というのです。
今回の翻訳も、その辺を意識して訳しているのですが。

死を覚悟して、その覚悟はしたけれど
なお求めざるを得ないキス=性 とは
どういう意味なのでしょう?
なぜ、人間に与えられているものか?

この話で思い出されるのが
歌人、吉野秀雄の絶唱です。

これやこの一期の命炎立ち せよと迫りし吾妹よ吾妹

読みは、いちご、ほむらだち わぎも です。

一週間後に亡くなることになる病床の妻、はつ が
看護婦(当時)がいなくなったとき、夫の吉野に迫ったのです。
そんなことをしたら体にさわることぐらい、妻も夫も承知です。
それでも、吉野秀雄は断ることができませんでした。
あなたも命を燃え立たせてください、と文字通り死を覚悟して迫る妻に
いまさら、体に悪いから、いけない、などと一体、言うことができるでしょうか?
あるいは常識人なら、なんてことをするのか?と
咎めさえするかもしれませんが。

そうまでして願う肉体による魂の結びつきとは
いったい、何なのでしょう?
Sex とは、いったい何なのでしょう?

吉野の短歌と同様
Besame mucho と迫った死の床にある夫の
願望とは、人生に性というものが与えられた意味を
読み取れ、と示唆しているように思えてなりません。
人間である尊厳をかけて、
個であることに徹したうえで、過不足なく自己充足的な自己を
実現することを善しとするのか?
それとも
満ち足りて二人してひとつとなる自己充足こそが
個でありながら、個ではありえない本来の姿なのか?

besame mucho はもちろん、後者の世界です。
二人してひとつでありたい願いの現れでしょう。
キスを と キスをして と
二通りに訳したのは、切羽詰った願いを
段階を追って感じられるならいいな、
という工夫のつもりでした。

吉野は男の子4人を抱えていました。
その家庭を手伝いに来ていたことが縁で
詩人、八木重吉がこの世に残した妻、とみ子と
再婚しています。

キリスト教ならなおさらですが、唯一のむすびつきとして
神の承認を得て式を挙げる結婚です。
結ばれる相手が二人では、どちらが唯一の片割れであるのか
わかりません。結婚を意思することが
矛盾であるのかもしれません。
その辺の矛盾を、吉野は
結婚式の席上、次の短歌を詠んで
その境地を示しています。

これの世に二人の妻と婚(あ)ひつれど ふたりはわれに一人なるのみ

BZN  BESAME MUCHO
すっかり手垢にまみれた
と思わせて、手を変え品を変えてよみがえる名曲でしたが
大胆不敵にも同じタイトルで別の曲をつくるという挑戦!
志しや良し、ですし、まぁある程度は成功しているでしょう。
ルーマニアのアーティストなのかな?